週刊RO通信

会議が短いのは自慢にならない

No.1393

 公益財団法人東京オリンピック・バラリンピック競技大会組織委員会・森喜朗会長の女性差別発言が、コロナ騒動で沈滞している東京五輪に脚光! を浴びせている。森氏の去就進退はいかにというところだが、今回は、森氏が語った「短い会議」が果たして上等か否かについて考えたい。

 女性が多く参加すると会議が長引くならば、大いに上等だ。わたしが職場でのコミュニケーション事情を調べたところ、多くの職場でコミュニケーションはよくない。会議は、表面的には粛々と進むが、積極的に発言する人はほとんどいない、というのが大方の雰囲気である。

 いうならば会議というけれど、単に上意下達の場であって、組織上部から出されるものに対して、参加者が疑問や意見を呈しない。会して議する場ではない。形式主義の典型である。これは、昨今の事情ではない。

 1990年代半ばから、中国現地企業に派遣されている大企業の人々をインタビューして回った。80年代には、大方の企業で中国事業は軌道に乗らず、中国へ派遣されるのは島流しだという見方が多かった。

 90年代半ばになると様変わりで、派遣されている方々は意気揚々と活動しておられた。もちろん、事業が順調に発展していたからであるが、家族帯同の人々も国内へ戻りたくないという。みなさんが暮らしやすくなったと話した。瞠目したのは国内で働くよりも異口同音に現地企業のほうがやりがいを感ずるという。これは単純に喜べない。

 ある大企業の駐在員は、国内本社での会議のために戻った際の会議について話した。経営方針を巡る会議で、社長が提案した内容について、参加者の発言が皆無である。沈滞そのものである。これではいかんと思って発言した。すると沈滞していたときよりも、もっと暗い雰囲気になった。

 変だなあと思って閉会後会議室を出ると同期の1人が追いかけてきて、「お前、ずいぶん突っ張っているなあ」と皮肉をいう。「何かおかしなことを話したか?」、「いや、話は筋が通っているが、社長は嫌な顔したぞ。気がつかなかったのか」。「お互い気づいたことを話すのが会議じゃないのか!」。「中国が長くなってずれたのじゃないか」。これでは御前会議じゃないか。憮然として、「こんな沈滞ムードのなかで働きたくありません」といわれた。

 日本に留学した体験から、魯迅(1881~1936)が、日本人は「気短で、論議経過を大切にせず、結論だけ求める」と指摘したが、1980年代においても、部下に対して「理由はいい、まず結論を言え」とせっつく人が多かった。なるほど、存分に問題認識を共有した段階では、修飾せず核心を突くのが上等である。

 実際、社内で出されるレポートは、分厚ければよろしいというようなものが少なくなかった。ようやく結論のページに至るや、何を主張したいのかさっぱりわからない。こんな調子だから、「まず結論を言え」となるわけだが、こればかりやっていると拙速になりかねない。

 会議に話を戻す。もっとも心配するのは、上意下達を絶対視する傾向である。明治近代化以来、最近に至るまで日本人の意識傾向として、温情主義・事大主義・画一主義・横並び主義の批判がなかった時代はない。

 温情主義や事大主義の根源は、専制政治時代の陋習が固く深く人々の意識を縛っているといわねばならない。労使関係の領域では、いまだ大方の経営者が温情主義に立脚しており、労働側の意見が分不相応だと考えている。

 事大主義は、専制時代の気風で、人々が自主性を欠き、勢力の大きいものに媚びへつらう。官僚的忖度が人々を唖然とさせたのも、最近の話である。画一主義も横並び主義も、人々の意識が鋳型で形成されているようなもので、その雰囲気を壊す人が登場するとKYされて総スカンを食らいやすい。

 人間社会の秩序は強権で専制的に与えられるものではいかん。話さなければわからないし、話せばわかる――明治時代には「万機公論に決すべし」という言葉があった。まして、いまは、民主主義になって75年を経過している。森氏の女性差別発言は批判されて当然である。しかし、それだけを批判して一件落着とはいくまい。わたしたちの日常は、いまだ民主主義以前の「森」が至る所にはびこっている事情にある。