週刊RO通信

五輪開催orコロナ敗戦?

NO.1391

 1月21日に、英タイムズ紙が、与党幹部が「非公式ながら、日本政府が東京五輪は中止せざるを得ないと結論づけた」と語ったと報道したのをめぐって、五輪ムードが少し沸いている。もちろん開催できるか、できないかという意味での盛り上がりだ。22日、坂井官房副長官が、「そのような事実はない」と否定した。

 世界陸上競技連盟の会長・コー氏(英国)は、「開催に確固たる決意がある」とし、無観客も選択肢だというコメントを発した。五輪組織委員会事務総長の武藤氏は「ワクチンが鍵だ」とコメントした。また、IOCは、全選手にワクチン接種を検討しているという報道もある。東京都の医療関係者は、「通常でも、五輪は医療関係者が1万人以上必要だから、いまのような状態で、果たして可能だろうか」と疑問を呈する。

 思えば、東京五輪が決定した2013年9月、アルゼンチンのブエノスアイレスにおけるIOC会議の際、当時首相の安倍氏が、原発事故汚染水問題について「アンダーコントロール」発言をしたときから、嫌な気持ちが沸いた。ブラックタイディングス社に対する1.6億円送金問題もうやむやであるし、巨額のロビー活動費が使われたという報道の始末も同様だ。

 ここまでくれば、何がなんでも今年7月23日(五輪)、8月24日(パラ輪)の開催にこぎつけたいという関係者の気持ちがわからなくはない。最終決断の時期が日々近づいている。このままでは無理筋である。

 菅氏は「人類がコロナウイルスに打ち勝った証」として開催すると語る。このような発言しかできないことが、東京五輪のファンの心理を盛り下げ! ていることに気づかないのだろうか。なにしろ、開催地東京ばかりでなく、日本全体において、コロナウイルス対策が混沌としている。何をどうするのか、大方の国民は「お手上げ」だと感じているだろう。

 コロナに打ち勝った証という言葉は、単なる希望である。こうありたいということと、このように手立てをするということは、全く別物である。こうありたいということを具体的に証明することと、希望通りになってほしいと期待することとの区別がつかないのでは、単なるお祈りである。

 もちろん、目的は思考の前提条件であるし、願望が思考を生み出すのも間違いない。目的(願望)を、いかなる手立てによって実現するか。

 「政治は科学である」といったのは、近衛文麿・東条英機両内閣で文相を勤めた生理学者の橋田邦彦(1882~1945)である。この考えは戦後の科学教育にも影響を与えたといわれる。菅氏は学者ではないが、ものごとを科学的に考える態度くらいは堅持してほしい。

 菅氏も、感染拡大を防ぐということは理解しているようだ。しかし、感染した人が入院拒否すれば1年以下の懲役、または100万円以下の罰金というようなトンチンカンな法案を提出するようでは、お粗末すぎる。感染者は間違いなく被害者である。被害者を罰するという発想はなにゆえか!

 1月20日時点で、東京都では、入院・宿泊療養するべき人に即刻対応できず、調整中(待機中?)が6,799人おられるそうだ。埼玉・千葉・大阪などもそれぞれ1,000人以上が同様だという。ならば、罰せられるのは行政当局ということではないのか。自宅療養中に亡くなった人が出ている。現実をきちんと知らずして法律を作っているのだろうか?

 飲食店が槍玉に上がっているが、飲食店はコロナウイルスの発生源ではない。たまたま来店した人が感染していて、政治家のように器用に「マスクして食べ」なかったから、他者に感染したのであろう。ならば、飲食店に責任転嫁するのではなく、いかにして感染者を早期発見するか! これが感染症対策の基本中の基本ではないのか。

 菅氏は人事の剛腕で、頭のいい官僚を抑えつける能力に長けているらしいが、抑えつけることと、官僚諸君の能力を最大限発揮させることは全く別物である。かつて首相・東条英機が権力を一手に集中したが、たとえば、航空機機材を陸海両軍が奪い合うことすら調整できず、敗色濃い戦争解決の糸口も見つけられず、辞任に追い込まれた。コロナ敗戦で詰め腹を切る前に、政治を科学してもらいたいので一筆啓上する。