週刊RO通信

長期戦体制が組織されているか?

NO.1383

 COVID-19対策は、すでに長期戦である。これからもさらに長期戦であろう。世界各国の大方は感染症のパンデミック(世界的流行病)対策がほとんどできていなかった。そして、いまも拡大の一途を辿っているのは、依然としてパンデミック対策が軌道に乗っていないからだろう。

 政府や自治体首長が危機感をあらわにして、「国民の命を守る」「事態を深刻に注視している」などと語るが、中身がない修飾語で迫力を欠く。人々にすれば「またか」という感想が沸くだけで、いままで各人なりに対処してきたことに、新たな知見が加わるわけでもない。

 もちろん、当局者はそれなりに一所懸命なのであろう。しかし、パンデミック対策体制が未整備なままに、次々に弥縫策を出すだけでなく、パンデミック対策の体制をまず理論的に整える作業もおこなってもらいたい。そこから事態に対応する政策の検証もできるのではないだろうか。

 火事場対策のように急いで作られた体側組織は、事態の推移に応じて手立てを繰り出すことで精いっぱいである。それとは別に学者・研究者を組織して研究する。それくらいの人材がおられないとは思えない。政府は、たとえば日本学術会議や各種学会が動きやすいように働きかけてもらいたい。

 長期戦というのは、煎じ詰めれば消耗戦である。事態の推移=戦局は時々刻々変化する。必然、1つひとつの事態に対策を繰り出すのだが、それは全体に関しては部分であり、分業である。全局を押さえ、その文脈において分業=局地戦を編成し組織する。これが戦略とそれに伴う戦術である。

 感染拡大阻止と経済リセッションを避けるというのは、戦略・戦術ではない。そうありたいという願望であり、人々の健康生活と経済活動の維持は目標である。たとえば短絡的にGoToキャンペーンで経済活動の底入れを図りたいにしても、感染拡大状況を見誤ると逆効果を招く。

 日本全体を1人の人間と考えれば、感染者が拡大しているのは、無視できない疾病を抱えていて、体力が落ちているのと等しい。そんな状態で体力つくりをやるのは、こと志と反して重症化してしまう。疾病が無視できない段階においては、現状を耐えるための工夫=耐久力涵養が第一である。

 疾病が大方底を打った段階で、機を逃さず積極的に体力つくり=経済活動に邁進する。与えられた条件が目的(この場合経済活動)達成にふさわしくなければ、時機を待つ。条件を整備して、捲土重来を期す。次善、次々善の対策を捻る。これが戦略的思考であって、「政治を科学する」べきである。

 歴史を見ると、日本人は長期戦の思考ができない。中国大陸で長期の消耗戦に翻弄された。日中戦争開始(1937.7.7)後、蒋介石(1887~1975)が廬山談話において「最後の関頭」声明(同7.17)を発し、国民政府が「抗日自衛」声明(同8.14)で長期抗戦論を掲げたのに、その意味を介さなかった。

 近衛内閣は、「支那軍の暴戻を膺懲して以て南京政府の反省を促す為今や断乎たる措置をとるの已むなきに至れり」という帝国声明(同8.15)を発して、日中本格的戦争に突っ込んだ。中国の抗戦意欲を無視し、強硬な態度に出れば簡単に屈服するだろうという、甘い自分的シナリオで行動した。

 蒋介石は、華北防衛にはこだわらず、上海に中国軍の主力を結集し、日本軍を散々に苦しめた。翌年、日本軍は徐州作戦を展開するが、中国軍は最大限の抵抗をした後、西南方へ退却した。武漢三鎮(武昌・漢口・漢陽)作戦でも、占領するが日本軍は大損害を出した。武漢三鎮を落とせば戦争終結できるだろうという皮算用が外れ、以降は中国軍に遠巻きに包囲されて、日本軍は身動きできない事態に嵌った。そして自滅の大東亜戦争へ突っ走った。

 日中戦争を引っ張り出したのは、事情がよく似ているからである。コロナウイルスは、たまたまどこかのクラスターが処理されても、戦意消失! することはない。中国は武漢でコロナ殲滅大作戦を制したが、日本はそのような大作戦を展開したわけでもない。判断の甘さは事実が証明している。

 対COVID-19作戦は長期戦である。かつ、総合的取り組みである。国民1人ひとりの努力もさることながら、国民相互に支え合う、連帯心の涵養をとりわけ心がけねばならない。目下は、強靭な耐久力の構築・維持が大事だ。政治家的大言壮語は不要、支え合いの気風を高めるしかない。