論 考

上意下達が招く社会の病気

 小学校1年生だったか、「弱い者をいじめるな」と聞いた記憶がある。おそらく校長先生の講話であったろう。「強きを挫き弱きを扶ける」は、『少年クラブ』かなにか雑誌で読んだはずだ。深く考えはしなかったが納得した。

 現実社会はその反対の行動がしばしば報道される。社会の仕組みが上意下達の一方通行になっているのが最大の原因である。古くは士農工商の下に部落民があり、世の中の差別がすべて集中した。

 上意下達が最大限日々の生活を支配し、各人の肉体化したのが旧軍隊である。将校は下士官を殴る、下士官は上等兵を殴る、上等兵は兵を殴る、兵は馬に当たるという言葉があった。組織におけるパワハラのポンチ絵である。

 縦社会においては、横のつながりが容易にできにくい。無茶ばかり言う課長を平社員が連帯して干したという話はちらちらあったが珍しい。

 それは、まず各人が自分の立場を守ろうとして、自分の隙を作らないように、仲間の雰囲気から外れないようにするから、横並び意識は育つが、その意識枠から飛び出せない。仲間が糾合して問題解決しようという雰囲気になりにくい。

 そのような気風の社会においては、各人の虫の居所が悪い場合、自分より弱い立場の人に向けて暴発しやすい。ハラスメントが多く発生する社会は、民主主義の精神が浸透していない。

 政治が上意下達を強めると官僚政治を招く。それをのほほんと認めていると、「国民のための政治」どころか、人々が為政者に跪く結果を招く。そのような政治は国民の権力ではなく、専制政治の権力である。上意下達が内包する問題と対峙するのも、民主主義を育てる大切な視点である。