週刊RO通信

指揮官に俯瞰的・総合的戦略ありや?

NO.1382

 都知事の小池氏が「5つの小」、小人数・小1時間・小声・小皿・小まめを提唱した。氏は、マニュアル的コピー作りがお得意だ。首相の菅氏は「静かなマスク会食」を提唱した。21日の朝日朝刊社会面には、2人の男性が居酒屋らしきところで、フェイスガードを持ち上げて食事している写真があって、それなりに笑わせてくれた。都知事・首相共々お手上げか?

 先日、自民党の感染対策ガバナンス小委員会が、コロナ対策体制を抜本的に見直すように提言した。技術面を担う健康危機管理機構と政府の政策意思決定部門とは切り離して、コロナ対策効果を上げようという。蚊帳の外からは、科学的技術的取り組みの知見や実践が、政策意思決定の陰に隠れているようにしか見えない。分科会、医師会の提言で、ようやくGoToキャンペーン一部見直しを表明したが、ピントがずれているのではないか。

 IOC会長バッハ氏の来日もうさん臭かった。氏自身が五輪開催一本鎗で、世界中のアスリートから批判を食らったのも忘れられない。盛り上げて、スポンサー離れを起こしたくない気持ちはわかるけれども、全世界で感染者が5,500万人超、死亡が1,300万人超の時点で、さらに感染拡大が予想される中で訪日して決意表明するとか、安倍氏の労を持ち上げてみても、問題解決にはまったく関係がない。五輪は五里霧中だ。

 菅氏が、五輪・パラ輪を成功させ、うっとうしい気分を吹き飛ばしたいと願っているのはわかる。しかし、「人類がウイルスに打ち勝った証」としての開催というような決意を表明すること自体が、中身を伴わないのであって、大会組織委員会会長の森氏共々神風を期待しているようにしか見えない。緻密にして冷静、かつ的確な国内感染拡大阻止対策を作って実践する。これが、ものごとの手順である。国民諸兄に向けて、「自助」努力を呼びかけるだけでは、心許ない。コロナ対策体制立て直しと政策見直しを急がねばならない。

 ここまでの菅氏流を見ていると、国民受けするテーマや表現を心がけている。それ自体はスケールの大小はともかくも理解できる。ただし、全体の大局観を欠いた舵取りをするならば、自分の在職中の仕業が後顧の憂いを招いてしまう。事実、いまのコロナ騒動は、ダイヤモンドプリンセス号以来、前首相の在任中の取り組みが不十分だったことの付け回しである。

 自民党内から抜本的見直し論が出ているのも、抜本的という言葉が意味するように、コロナ騒動が開始して以来の対策・政策の流れがよろしくなかったというのである。そこで、抜本的見直しをおこなうためには、手順として従来の流れを全面的に総括しなければならない。

 3月からでも8か月余、いずれの時点においても、まさか手抜きしたわけはなかろう。ならば、従来路線をいかなる視点によって見直すのか? 視点、つまり現状のようになったのは、何が問題であったのか。

 コロナ感染拡大防止という看板は最初からあったが、その戦略・戦術において、何か問題設定に誤りがあったのではないかという、真剣・真摯な反省の態度から始めなければならない。とりわけ、戦略が妥当であったのか?

 首相という仕事は舵取りである。戦略にせよ、戦術にせよ、具体的に問題を煮詰めるのは有能な官僚諸君の仕事である。抜本的見直しというだけでは丸投げであって、官僚諸君も困惑する。首相が、大所高所からお得意の俯瞰的・総合的に絞り込んで、具体的に作業の入り口を示す必要がある。

 こんなことは、どこかの馬の骨に言われなくてもわかっておられるであろう。しかし、馬の骨が口先介入したくなるのは、前首相は「マスク」を全世帯に配布した。一方当時は、3T、Testing(検査)・Tracking(感染者追跡)・Tracing(接触者追跡)の体制が不十分であって、結果、今日の事態を招いた。現首相は「静かなマスク会食」を提唱する。これは、戦略にあらず、戦術にしても担当者が考える程度の話だからだ。

 菅氏は、日本学術会議を国(実は政府)の下請け機関にしたいようだが、戦略的思考を存分に揮えないトップをいただく政府であっては、せっかくの学術会議がせいぜい「5つの小」や「静かなマスク会食」程度の科学的知見! しか発揮し得ないことになりかねない。苦境のいまこそ、学者・研究者が忌憚なく自由に発言できるように、まずは、心構えから改めてもらいたい。