論 考

ジリ貧の解決は博打ではない

 五輪・パラ輪をなんとかして盛り上げたい気持ちは理解するが、そのためには、現下のCOVID-19の感染拡大について、冷静にリアルに状況認識を共有して、いろいろな選択肢を検討するのが筋道である。

 菅氏の「人類がウイルスに打ち勝った証」という表現は、すでに陳腐な決意表明である。裏返していえば「打つ手がございません」、わがほうお特異(得意にあらず)の「神風を期待いたします」というのと変わらない。

 IOC会長の訪日タイミングもよろしくない。だいたい、IOCが、なにがなんでも開催したいのは先刻周知であり、決意表明だけに終わるのであれば、頼みの綱のスポンサーの気持ちを揺り動かせない。

 経済復旧が大事なことは当然だが、タイミングの悪いことをやれば、感染拡大に手を貸す。やはり、ここは緻密、冷静に現状分析をおこなって、感染拡大防止策を再建するべきだ。

 大東亜戦争開始の意思決定の際、首相東条英機は、「展望が開かない事態において、ジリ貧を避けるために開戦する」と語った。人々の生活を破壊する博打に踏み切った。目下、それに比べるとスケールは小さいけれども、展望なくして博打に手を出すという心象風景は同じだ。歴史から学ばない悪しきオツムは、こんなところにも依然として蠢いている。