週刊RO通信

脆くて弱い民主主義!

NO.1381

 相変わらずトランプ氏は大統領選挙が不正だという主張を取り下げていないが、獲得した選挙人数は、バイデン氏が306人、トランプ氏232人、得票数ではバイデン氏がトランプ氏に530万票の大差をつけた。不正の確たる証拠もなく、社会不安を煽った戦術もそろそろ店じまいだろう。

 AFP(11/7)は、「神経衰弱の瀬戸際の米国民を落ち着かせる役割をバイデン氏が担うだろう」、「バイデン氏は打ちのめされた人々、疎外された人々、取り残された人々のための運動を主張して、選挙戦を乗り切った」と書いた。

 2017年1月20日の就任会見でトランプ氏は、「忘れ去られた人々は、これ以上忘れ去られることはない」と大見得を切ったが、トランプ氏の4年間もまた鋭い爪痕を残した。容易に忘れ去られないことが大切だ。

 当選2か月記者会見について、わが新聞社説は、朝日「危うい自分中心の政治」、読売「国民の団結や世界に尊敬される米国は実現できまい」、日経「トランプ氏は疑問にきちんと答えよ」、産経「お笑い劇場、たわごと」と、足並み揃えて一大批判を展開した。トランプ氏は当初予想を裏切らなかった。

 外から見ていると、トランプ氏が、希代の扇動者であったことは疑いがない。とりわけその特徴は、Lier(嘘つき)と呼ばねばならない内容、ホラとハッタリのオンパレードであった。

 トランプ氏は、ストロングマンを演じたつもりだろうが、何ごとにおいても横車を押したのであって、就任数か月にして、精神科医70余名が連名で精神鑑定の必要性を訴えたのも不思議ではなかった。

 人事は始めからお終いまで安定しなかった。超盟友バノン氏を切り捨てたことでわかるように、自分が正しい、自分が掟だから、自分に従え、トランプにあらざれば人にあらずの振る舞いが貫かれた。

 イエスマンばかりではチームの力が発揮されないというのは常識である。しかし、トランプ氏はイエスマン以外には求めない。結果、氏の後ろには味方が列を作り、周囲を敵が包囲することになった。

 トランプ氏がタフネゴシエーターであったというのは、大きく差し障りがある。この4年間はごてた4年間であって、一貫して「ごて得」を追求した。おそらく不動産王の名称を奉られた過去の成功体験に基づいた処世訓であったように思われる。「ごて得」は生身の本人の力であるが、氏は米国大統領の威勢を最大限利用してごて通した。その集大成が再選を賭けた大統領選挙であり、皮肉にも自分の暴走によって1期だけの大統領になった。

 それにしても、嘘とホラとハッタリをつき続けて相当の向かい風を作り出したのだが、任期末までコケることもなく、あわよくば再選を獲得したのかもわからないところまで来たのだから、大きな問題が浮かび上がる。

 選挙で選ばれて米国巨大客船の舵取りになった。人間性(意志)に欠陥があって、それがノーコントロールで発揮されると、手がつけられない。これが民主主義先進国の米国で発生したのである。

 そこから考えねばならないのは、1つは、米国大統領という職務が政界においては無敵というほど強大なものである事実。もう1つは、そのような大統領を生み出す米国的民主主義制度と運用という問題である。

 民主主義における意思決定は、オール・オア・ナッシングではない。A論あればB論あり。ABいずれの立場であっても、双方納得ずくの結論を作り出すという規範を共有していなければ、民主主義の制度は成り立たない。民主政治の権力が専制政治の権力と変わらず、放置すればどんどん拡大されるという事実を見た。

 つまり、権力というものは、民主か専制かというような制度に拠って左右されるのではない。権力は、それ自体が常に肥大化していく傾向をもっている。権力はさらなる権力を求める。人類は野蛮な時代をとっくに終えたはすだが、権力が先天的にもつ野蛮さのゆえに、野蛮さがつねに再生産される。

 トランプ氏のような派手な悪役ではないが、わが国においても、安倍・菅政権を一貫して流れているのが、言葉による意思疎通を徹底排除する悪しき官僚政治のスタイルである。米国政治の挫折体験と同質なものを、いま日本人も体験しつつある。それは、非民主主義のゆでガエル的体験である。