週刊RO通信

海部宣男先生の遺稿

NO.1376 

 海部宣男先生(1943~2019)は、日本の天文学を大きく開拓し、発展させた学者である。1966年大学院生時代から、わが国初の先端大型望遠鏡である長野県野辺山の口径45m電波望遠鏡の設計から建設に取り組んだ。ミリ波天文学の観測・研究で仁科記念賞(1987)、星間物質の研究で日本学士院賞(1998)を受賞した。

 91年からハワイのマウナケア山上の「すばる」望遠鏡プロジェクトを引っ張った。97年から初代ハワイ観測所長としてすばる建設に取り組んだ。2000年から国立天文台長に就任、04年にはアルマ望遠鏡への参画を実現、12年国際天文学連合(IAU)の会長を務めた。

 05年から11年まで日本学術会議会員として、同会議の組織整備や、学術分野からの「日本の展望」を推進、わが国初の「学術の大型計画マスタープラン」を実現した。天文学から出発して、わが国の基礎科学の発展に大きく貢献された。たまたま『天文月報』(2019年7月)に、「日本学術会議と日本の天文学」と題する、学術会議と政治の関係についての貴重な提言を見つけたので以下に要約して紹介する。

 ――学術会議は「学者の国会」として、1960~80年代に数多くの全国共同利用研究所や大学共同利用機関の設立を提言し、現在の日本の基礎科学を作り上げた。一方、原子力利用に「自主・民主・公開」の基本原則を政府に承認させ、平和主義に基づき、核装備批判・ベトナム反戦の意志表明をしたので、保守政権から疎まれるようになった。世界各国、学者・学生は政権に対する批判者の役割を果たしている(のだから当然である)。

 学術会議会員の選出は、当初は自由立候補制で210人(全国区・地方区)を選挙したが、自由選挙が政権に批判的な会員を生むとみなされ、84年から各分野の学会会員の選挙方式に変わった。加えて、学術会議を潰せという保守政権の圧力が続き、「学会と学術会議を切り離し、会員を内閣の直接任命にせよ」となり、05年から現在のような方式になった。

 科学者の民主的つながりを潰そうとする政権との長いせめぎ合いのなかで学術会議が追い込まれてきた歴史を理解してもらいたい。現在のあり方は本意でない、潰れかねない予算削減において、会員・連携会員は手弁当でなんとか科学者の声を政策に反映させようと必死の努力をしている。

 学術会議の現状が不十分でも、科学者の総意を国レベルに伝える唯一の公的組織であり、これを潰してしまうのは学者の自由な発言を抑えたい側の思うツボである。政府丸抱えの組織に、日本の基礎科学全体を預けてしまうことになりかねない。

 学術会議は、法律で「政府とは独立に」提言することができると定められている。これは戦前の大学・学問に対する政治介入の反省からきている。たとえば、政権は、米英から原発の直接輸入を唱えた。湯川秀樹・朝永振一郎氏らが基礎・開発研究を重視し、自力で実証炉段階くらいまでやるべしと主張したが、政権はこれを無視した。ために、原子力利用研究が極めて脆弱で、福島原発事故とその対応、原子力政策のお粗末さとして露呈している。

 大学や研究機関が、国から運営費をもらっているから政府と対峙できないことにはならない。時の政府と、国民全体が支える「国」とは異なることをはっきりさせる必要がある。――

 さらに海部先生は、「果たして今の日本が本当に『成熟した民主主義』の段階にあるのだろうか、危うさを感じる」、「政権は盛んに防衛技術の検討開発をいうが、学者・研究者個人の意思が尊重されるべきであるし、かつての侵略戦争を認めず、改憲で個人の自由を制限しようとする政治家のもとでは、自衛だ、防衛だといっても懸念が尽きない」とも指摘している。

 この原稿は2018年10月に書かれたもので、公開は19年7月である。海部先生は19年4月13日に逝去されたので、遺稿としたのであるが、あたかも2年前に今日の騒動を予測しておられたようである。

 先生は野辺山時代から、科学を社会に普及させるため、活発に行動された。子どもや専門外の人に向けた著作も多い。放送大学で受講した教え子やファンが多い。学術会議は、政府ではなく、国民1人ひとりのためにある。