論 考

こんなとき、人生設計論の応用

 誰でも日々の暮らしが平穏無事に続くことを望む。しかし、それだけでは退屈でつまらない。

 そこで、たとえば戦争ドラマに惹きつけられ、活劇にわくわくする。ただし、自分が渦中にいないから楽しめる! のであって、それが現実生活になったら大変だ。平穏無事な生活にスパイスが欲しいだけなのである。

 見方を転ずれば、コロナ騒動は極めてドラマチックである。世界中が巻き込まれた。渦中にいない人は1人もいない。どなた様もひりひりしながら日々を送っておられる。日常生活がスリル満点! である。

 コロナ騒動下の生活を楽しむ気分にはならない。しかし、楽しめない時間を後で取り戻せない。願わくば、コロナ騒動下の生活を楽しみたい。

 退屈を面白くするために、人はいろいろな工夫をする。ドラマを見るのは空想の世界に遊ぶのである。そこで、現実生活を工夫する。いったい、わたしは何がしたいのか、何が本当に面白いのか――こんなことを考えてみるのも一興ではなかろうか。

 心地よい時間に漂うことを目的にするのではなく、わたしがありたい目的を再認識して、そこへ到達するために工夫してみる。コロナ騒動によって、いままで、意識していなかった人生を見つけられるにちがいない。