論 考

歴史は繰り返すという愚

 菅氏が、安倍内閣の番頭であったのか、あるいは傀儡師であったのか、単なるお友だちであったのか、いずれ具体的な形になろう。

 菅氏的総裁選戦略は巧みであった。政権中枢に位置していたことを割り引いても、自民党的立ち回りに精通した、自民党的ベテラン政治家である。

 今朝の朝日・読売・毎日の社説は、いずれも安倍政治の総括をして、総裁選で、各候補者が政見を語れと主張する。朝日・毎日は安倍政治に批判の立場である。つまり、リセット必要論である。

 読売は、安倍政治を総括すれば、政治を安定させたことだと指摘する。この場合の政治とは政局である。ごたごたがあっても長期政権を記録した。もちろん、読売はなにがあろうとも一貫して安倍政権支持の立場であったから、これは総括ではなく、自慢話である。

 安倍政治に対する批判はいろいろあるが、最大の悪事は、言葉の価値=信頼性を破壊させたことに尽きる。明治以来、「話せばわかる」と主張しつつテロに倒れた政治家は少なくない。政権中枢が言葉の信頼性を破壊して、恬として恥じないのだから、首相たる政治家として無知・無恥である。

 菅氏は、そんなことは考える余裕もなく番頭として支えたのか、わかっていて木偶を踊らせたのか、単なるお友だちで政治ゲームを遊んだのか。いずれにせよ、今度は舞台上の黒子ではなく自分が演技する立場になる。

 悪玉は好き放題するが、失脚すると憐みを乞う。同情を引いておいて雲隠れする。かくして、正直者は欺かれる。History repeats itself――のアフォリズムを想起する。