週刊RO通信

旧帝国陸軍的気風は変わらず!

NO.1371

 旧帝国陸軍の人材育成、つまり士官の養成は士官学校で、初級将校の養成を目的にしていた。将校の高等教育機関は陸軍大学校(陸大)である。

 1923年(大正12)の陸軍大学校令では、陸大は「将校が高等用兵に関する学術を習得し、軍事研究に必須の学識を増進させ、さらに高等用兵に関する学術研究をおこなう」と規定されていた。高等用兵にかかわるのは、参謀や師団長以上の高等指揮官であるから、要するに陸大は参謀や将官要員を育成する機関であった。エリート中のエリートを育てるわけだ。

 エリートの条件は厳しい。陸大の受験資格は、隊付勤務が2年以上、品行方正、勤務精励、身体壮健、かつ頭脳明晰でなくてはならない。定員は40~50人であった。合格は至難の業である。わが連隊から合格者を出すことは非常な名誉であるから、連隊においては、受験者に格別の便宜を図った。同僚の中・少尉が練兵場で下士官兵と汗まみれになっているが、受験者は事務所でデスクワークと称して2~3年受験勉強に励んだ。

 精進の甲斐があって筆記試験に合格すると、次は口頭試問がある。その合否判定基準というのが、「着眼」「決心」「意志強固」の3点に絞り込まれた。着眼は目の付け所がよろしい。決心とは、覚悟であり、これだと心を決めること、意志強固も似たようなもので、百万人といえどもわれ行かんの意気地があるかというわけだ。その実際はいかがであったか。

 一例をあげれば、陸軍大臣東条英機(1884~1948)が航空士官に講演した際、「敵の飛行機を何で撃ち落とすか?」と質問した。指名された士官は当然ながら「機銃で撃ち落とします」と答える。しかし、これが正解と考えるタイプは陸大に合格できない。「馬鹿、精神で落とすのだ!」。ジョークではない、本気である。黒を白と言いくるめる屁理屈巧者を意志強固という。

 日中を全面戦争に追い込み、内外政策に行き詰まり、1939年に政権を放り出した近衛文麿(1891~1945)は、40年に再登板した。武力南進政策をとったので日米間の対立が激化した。41年には、陸軍の強硬な対米英開戦論を抑えられず、またまた政権を放り出した。10月15日、東条に組閣の大命が下った。東条は近衛内閣を退陣に追い込んだことで、天皇から叱責されると覚悟して宮中へ出向いたから、茫然自失のていだった。

 11月2日、東条は対米英戦争決意を上奏した。天皇は「大義名分は何か?」と問い、東条は「目下研究中であります」と答えた。理屈は後から貨車に積む。着眼・決心である。11月4日軍事参議院会議で、東条は「2年後の見通しが不明だから、無為にして自滅するよりも、難局打開して将来の光明を求める」と語った。日米の物理的力量差を全然知らなかったのではないが、真珠湾を一撃すれば2年程度は持つ。その間に南方の石油を自由自在に活用できるようになる――という好都合な物語を足場にした。

 着眼とは思い付き、決心には中期展望の裏付けがない、独善と詭弁の意志強固が帝国陸軍のエリートであった。東条は演説の際、必ず「不肖わたくし」を頭につけた。不肖が開戦し、そして惨憺たる敗戦を迎えた。

 さて、安倍氏はその着眼点が特異である。8月28日記者会見で、「コロナ対策は最善の努力をした。7月以降、感染拡大が減少傾向で、死者・重傷者を低く抑えることができた」という。感染者数は、当時大騒動していた中国の8.9万人に対して7.1万人と接近している。死亡数は中国4.7千人に対して1.3千人である。死者・重傷者が低いように見えるが対策の効果というより、たまたまの数字でしかない。偶然を対策とは呼ばない。

 また、「政権私物化をしたつもりは全くないし、私物化していない」とも語った。なるほど、私物化を目的としていたのではなかったかもしれないが、傍目には「やっちゃった」としか見えない。誰がどんな疑義を呈そうが、そのつもりはないという決心、私物化していないという意志強固である。ゆえに説明する必要がないという着眼点もまた特異である。

 安倍氏は陸大で鍛えたのではないが、「着眼」「決心」「意志強固」の3点セットを脈々と受け継いでいる。安倍政治を踏襲するという菅氏もまた陸大の優等生に見える。これぞ、彼らが渇望する日本的エリートの精神らしい。帝国陸軍は消えたが、その精神は死なず。デモクラシーいまだならず。