論 考

アトシマツ・キャビネットの後始末

 菅氏の自民党総裁選出馬会見をうけて、シラケ鳥が飛んでいる。なにしろ、菅・二階コンビが描いた脚本を事前に見せた上で、岸田・石破両氏の出馬会見があり、各派閥が菅支持を表明した後に菅氏出馬会見という、まあ、多数の要望に応じて立ったという「振り付け」である。

 いわずもがな、これも安倍政治の継承である。人々の関心が高そうな問題を直ちに解決するようなポーズで、つねに「やります」「全身全霊がんばります」と語って期待をつなぐ。わたしはヤルヤル詐偽だと規定するが、要するに「恰好をつける」だけの政治である。

 8年近くが過ぎてみれば、インフレターゲット2%はもちろん実現せず、文句が出ないのは、円安で株がそこそこであったからだ。しかし、株とは無縁の圧倒的多数は不満たらたらである。格差は見事に拡大した。格差が拡大する事態では、人々は自分の生活だけに没頭する傾向が強い。これまた皮肉にも、政権を維持させる有力な要因である。

 本日の朝日社説は、「菅氏が安倍政治の功罪に向き合わないで継承すれば国民の信頼を取り戻せない」と主張する。その通りであるが、菅氏は、反省的に安倍政治を総括して立候補したのではない。どこまでも、安倍政治のぼろを隠して、時間を味方につけ、次なる選挙で勝利する。これしかない。

 菅政権が成立すれば、安倍の「アトシマツ・キャビネット」である。

 安倍政治の功罪を総括するのは、国民各位の仕事である。従来、それがしっかりしていないから、長く自民党政権が継続してきた。そもそも、政権党に対して、「自分たちがやってきたことをきっちり反省して出直しなさい」と注文つけるだけで変わるだろうか。変わらないから、自民党が戦後75年間の大方の政権を担ったにもかかわらず、いつまでたっても「垢ぬけない!」のである。

 いずれ総選挙であるが、「アトシマツ・キャビネット」の後始末をしなければ、日本政治は谷底デモクラシーであり続けるわけだ。