アメリカ大統領選の第一の山場はテレビショーで終わった。
トランプ戦略は、ひたすらトランプを押し出すのみで、そのトランプとは「全面的に正直な男」(メラニア夫人)というのだから、恐れ入る。
もっとも、嘘だろうがホラだろうが、思いついたことは直ちに発信して、ファクトチェックで批判を食らっても、恬として恥じないということを指して全面的な正直だというのも1つの見方である。ただし、これは社会通念としては痛烈な皮肉であるが——
トランプ流選挙術は、敵か味方かを迫る方法である。理屈はどうでもよい、あんたはどちらを支持するのか。方法としては単純明快だ。これはトランプの専売特許でもない。すでに、ニューヨーク同時テロの際(2001)、当時のブッシュ大統領が「テロか、反テロか」と叫んだ。
トランプ流はそれの応用であり、選挙戦を本当の戦争にしつつある。そこには、政策を競って、さらなる高みの結果を出すという構えはない。「勝か、負けるか」、1かゼロかの選択だけだ。
アメリカのデモクラシーは根底から破壊されつつある。
その点、二階・菅流は何やらネチコチして、一見、手続きを! 丁寧に! 1つひとつ押さえていくかのような形式ではあるが、他者の意見など聞く気持ちがない。いわく、安倍流の踏襲である。
二階・菅両氏にすれば、長期政権記録を作った本当の功労者は自分たちだという自負であろう。神輿を担ぐ役割なんてあほらしいと、思い続けてきたに違いないからだ。
さて、安倍流政治程度なら、十分に凌駕できる自信があるか?
もっとも、苦しくなれば総裁任期までのショートリリーフだという逃げ道も用意されている。