週刊RO通信

品位のある自民党に変わられるか?

NO.1370

 先回は投げ出し、今回も少し丁寧な投げ出しだ。実力政治家であれば、コロナ騒動でおおいに辣腕を揮う見せ場であって、常識的にはありえない辞任である。直接の引き金の持病が再発する以前から、体力よりも能力が問題であった。行き詰まり辞任というべきだ。わたしは、つとに早期退陣を主張してきた。遅すぎたきらいはあるが、ともかく安倍氏の辞任を歓迎する。

 読売新聞社説は、政治空白を避けよと主張するが、短く見てもコロナ騒動が始まって以来半年以上、わが国の政治は空白状態だ。長期政権の功績が大きいから安倍政治を継承せよと持ち上げるが、それは仲間内の話で、罪が功を大きく上回っている。要約すれば、日本政治の品位を貶めた。

 政治を所詮三文芝居程度に見て、政治的無関心を取り繕っている人々が多いのがその証明だ。辞任翌日の地方紙社説も数紙読んでみた。持病による辞任が残念至極、安倍政治をそっくり継承せよなどと書いたものにはお目にかからなかった。ああ、そうですかというニュアンスが漂っている。

 自民党内には、リベラリストからごりごり保守的右派まで、人材が豊富だという(ことになっている)。しかし、安倍政権ではリベラリストは実質干されていた。政権の運営は、憲法敵視、三権分立無視、国会軽視、野党敵視で、自分の意に沿わぬ意見について一切聞く耳を持たない。

 なにしろ活躍中の自民党議員は、リベラリストや、基本的人権の尊重を口にする人々を左翼と呼ぶ連中が多い。ここでいう左翼とは、敗戦までの時代に、体制に従順でない人々を「アカ」と呼んだのと軌を一にしている。これでは自民党がデモクラシーの皮をかぶった戦前国家主義者団体に見える。

 公職者は、人々に対して奉仕するものだ。なんとなれば主権在民である。しかし、主権在民は選挙の清き一票の行使までで、政治家は国民に寄り添うという言葉を乱発する。寄り添うのではなく、皆さまに見放されないように、つねに人々の顔色をうかがうのが政治家だ。これを忘れてはいけない。

 国民のための政治を実現していく政党というよりも、自民党は選挙互助会、政権維持を最大の目的とする徒党というべし。敗戦後75年を経て日本的デモクラシーが育たないのもむべなるかな。安倍内閣はスキャンダルが極めて多かった。たまたま多数を制しているから好き放題やった。

 内政は、議員数で押し切られるから、安保関連法、集団的自衛権(閣議決定)、特定秘密保護法、共謀罪などの法案を次々に押し切った。気のいい! 人々が甘言に釣られて多数の議席を与えた見返りだ。この間、経済政策の成果? を見れば、実質経済成長率は年平均1.1%強、物価2%は未達、日銀の無茶苦茶金融緩和と乱暴な財政出動のツケは莫大な負担である。

 外交は、地球儀を俯瞰しつつ、安倍氏が176か国を漫遊したが、手応えが薄い。中国・韓国・北朝鮮・ロシアとの外交は完全に後退した。戦後外交の総決算という威勢のよい言葉もあったが、逆方向に弾みをつけて、反日感情を蒸し返した。これが、かの外交のレガシーである。

 政官癒着が甚だしい。アベノスキャンダルが持ち堪えられた理由だ。6月下旬までに、モリカケサクラ、五輪パラ輪のお先真っ暗、検事長騒動、特別給付金支給委託先問題、カジノ汚職、イージスアショア中止、河井議員夫妻の選挙違反問題がぞろぞろつながって十分過ぎるダメージであった。

 内閣人事局が人事で官僚の首根っこを押さえたのは事実だが、もともとパブリック・サーバント意識の希薄な日本的官僚の悪しき体質とフィットして、政府機構の根腐れ病が露見した。公文書の隠匿・廃棄・偽造は、その典型的な症状である。しかも、悪い奴を出世させた。いやはやなんとも——

 果たして、自民党に自浄能力があるか? いままでの経過を見る限り、政治家としてのフェアプレイ精神は感じられない。なりふり構わず、とにかく選挙を制する。勝てば官軍、大義は我にありだ。これ、安倍氏が辞任したことによって一挙改善されるだろうか? 幼児性の強い宰相が長期政権を構築し得た理由は、担ぎやすい神輿であったからである。

 バイデン氏は「Build Back Better」(立て直し)を標榜するが、わが自民党も、「出直し」しなければならない。読売社説のような、安倍政治の継承論は日本政治をさらなる泥沼に放り込むのと等しい。