論 考

暑苦しくとも考える

 1970年代までは、アメリカが世界の警察官という表現は、そうであってはならないという意味に使われていた。

 2001年9月11日、ニューヨークなどの航空機による同時多発テロが発生し、ブッシュ大統領が「21世紀最初の戦争だ」と叫んで、テロをやっつけろという大合唱が渦巻き、証拠固めをするのではなく、報復を当然とする流れが作られた。世界の警察官という言葉が肯定的雰囲気になったのは、この辺りであろう。

 ところが、アメリカは世界のための警察官ではなく、アメリカに不都合な相手を取り締まりたいわけで、本質は、アメリカの覇権を維持するのが目的である。それを露骨に押し出したのはトランプ氏であるが、歴代政権は、一貫してその流れを作ってきた。

 デモクラシーの価値観を錦の御旗にするのであれば、個人と同じく、国家関係も相互に自由を認め合い、平等互恵の精神で事に当たるのが筋である。力をつけてきた中国が覇権主義だというのは、アメリカが自身の覇権主義を反省もせず当然だと考えているのだから、公正な態度ではない。

 他人の目のなかの塵を批判して、わがほうの目のなかの梁に気づかない――このような態度が、世界平和をつねに危殆に放り込むのである。日米同盟という言葉に思考停止をきたすようでは、独立国の名前が空虚である。空虚なだけではなく、恥ずかしい。

 さまざまのメディアから情報を得るのであるが、思索せず受け取るのであれば、結果的にミスリードを許している。無知にして無恥のリーダーが長期政権を継続できた理由はここにもある。