週刊RO通信

日本人の民主主義は12歳?!

NO.1367

 マッカーサー(1880~1964)が、日本人の民主主義意識は12歳だと言ったというが、敗戦当時の日本人をみれば、欧米先進国の人は大方が然りと言ったであろう。大日本帝国憲法に民主的な面があるというのは、学者的理屈である。敗戦まで、日本は民主主義とは無縁であった。

 1945年8月15日を区切りとして、日本は民主主義へ歩み始めた。あたかも、それは落下傘で降りてきた。日本人7200万人の大方は、そこから民主主義とは何かという課題に対面したのであって、12歳という評価も甘いかもしれない。いずれにせよ、これが戦後民主主義の出発点だ。

 鉄は熱いうちに鍛えねばならない。当時の人々の生活は、ぼやっとしていれば空腹を抱えて蒸発するしかなかったので、食べられることに結びつかなければ民主主義もへったくれもない。1946年の憲法改正論議に際して、「憲法よりメシ」だという気風があっても、なんら不思議ではなかった。

 民主主義を直球で考えれば、わたしが「自由」に生きられることだ。食べられなければ自由はない。嫌でも戦場へ放り出されたのは極めて不自由だが、蒸発する自由を歓迎する人はいない。敗戦後もまた戦場であった。なにはともあれ欠乏から離れて自由を手にしたい。「食を以て天を為す」だ。

 ここから押し広げると、生活の重大な憂いがなく、当面する状況において、ものごとを積極的かつ機動的に考える余裕(気持ちの幅)が自由である。とはいえ、「衣食足りて民主主義を知る」とは直結しない。制度を自分自身のものにするかしないかは、すべての「わたし」次第である。

 それから75年が過ぎた。学習するべき時間が少なかったとはいえない。衣食のほうも、左うちわではないにしても、75年前を思えば十分に上等である。全体にみれば、大きな経済の国ということになっている。この際、12歳説を起点として、目下の日本人的民主主義を考えてみたい。

 大方の人々が国の経済が大きいと認識しているだろうが、それと並ぶくらい国の政治が大きいと考えている人は極めて少ないだろう。経済の大きさは人々の日々の活動(思索と実践)の総和だ。政治の大きさも人々の活動の総和であると置けば、政治が大きくないのは人々の活動が小さいのである。

 民主主義は、大衆が参加する政治形態である。もし、人々の政治参加が質・量ともに少ないのであれば、制度が民主主義であっても、実態は民主主義ではない。民主主義は床の間の天井にあらず。もちろん、定量的な測定はできないので、ここでは理屈だけで考えてみる。

 日本人は政治を大切なものと考えているだろうか? たまたま安倍長期政権が続いている。経済最重点が旗印だが、コロナ騒動発生以前にも、国民生活が向上したという実感はほとんど見られない。安倍氏は世界を飛び回ったが、外交面においてのお手柄らしきものはほとんどない。

 閣議決定の乱発、与党の数で押し切る議決、安倍氏並びに周辺のスキャンダル、それらと関連して国会審議が後になるほど空洞化し、質問と答弁がまったくかみ合わない。人事を握られている官僚は、あらゆる疑惑隠し、先送り、うやむや作業に大活躍した結果、政府自体の信頼が著しく劣化した。

 政権というものは、仕事ができるから長期化するのだが、目下の政権は長期化すること、すなわち権力維持が最大目的化して、仕事しない内閣である。かかる事態は、民主主義が機能していない。それでも内閣罷免の世論が沸かないのは、主権在民たる人々が未熟だという結論になる。

 独裁政治というものはヒトラーの専売特許ではない。人々が有形無形に権力を統制しなければ必然的に独裁政治へ向かう。人々が権力を統制することを「by the people=国民による」政治というのであり、それができない国民は政治的未熟だという理屈になる。いまの日本は独裁政治である。なぜなら国家権力が一方的に国民に強制を加えられるが、その逆がないからである。

 人々の「自由」は、人々が「自由」であるために絶えずイニシアティブを執ることを抜きには獲得できない。政府を握るものが、常に人々の厳しい視線を意識して、手抜きすれば下野するしかないという不安を持つ状態を作らねばならない。それが常態化するとき、12歳説が過去の笑い話になる。

 それが戦後民主主義のめざしたものである。