論 考

奇妙な心もち

 1941年12月8日に大東亜戦争開始したが、景気が良かったのは最初の奇襲攻撃だけで、あとは苦戦の連続。翌年6月にはミッドウェー海戦で惨敗、8月には米軍がガダルカナル島に上陸、9月にはソロモン海戦と続いていた。

 もちろん戦況がわがほうに極めて不利などの情報は流れてこない。国民の日常生活はすでに極めて不自由である。新聞、ラジオは国民の戦意高揚を煽りまくる。敏感な人々は何やらおかしいと気づいていたが、まさか声に出すわけにはいかない。

 かと思えば、ちょうど開戦1周年のその日、東京市では役人がお菓子の格付けをするために集まって、銘菓を食べていた。(『暗黒日記』)違和感のある話だ。

 こんなことを思い出したのは、政府が「ワーケーション」なんてことを推進したいという記事を読んだからだ。ワークのついでにバケーションという、まさに帳尻合わせの役人的発想である。こんな程度か!

 保健所も病院も人手が不足して大わらわに加え、病院は経営が苦しいと悲鳴を上げている。政治家諸君は、緊急事態だ、危機感をもって注視しているなど、中身のない危機意識表現ばかりするが、役には立たない。

 敗戦75周年の夏である。この間日本的われわれは、少しは利口になったのであろうか。日々の景色を奇妙な心もちで観察している次第である。