週刊RO通信

熱い気迫なくして新党の力は出ない

NO.1364

 政治というものは、権力であるから、1人の支配、あるいは1党の支配が長く継続すると必ず新味を失う。なぜならば、権力に就いた当初は、人々の信頼に応えるように、失望を与えないように努力するが、その時期を超えると権力支配そのものを失わないようにすることが最大課題になる。

 もちろん、人々がその権力者の政権継続を願うケースもないではない。それは、権力者が初心を忘れず、権力支配の恐ろしさを忘れず、日々の政治に心を砕き、人々に対する発言・行動におさおさ怠りなく、賞味期限切れにならないように、つねに知見を養い続ける場合である。

 まあ、これはなかなか容易ならざる営みである。かつて、首相は1年、2年の使い捨てみたいな戯れ言葉があった。初心を失わずとも、内外の課題・問題が山積しており、然るべき経営ができにくいことに加え、権力亡者の多い政界のことで、頂点に立てば、足を引っ張られるのが必然だからである。

 いまの安倍政権は長期ではあるが、多少甘く見ても成果らしきものがない。これは安倍氏を支えている国家主義者諸君にしても、いや、そうであれば尚更ものたりないと思っているであろう。たまたま国内問題については、与党が圧倒的数を確保しているから、審議不十分でも強引に決議できる。

 しかし、本当に実力があるわけではないから、外交案件ともなればほとんど成果を上げられない。この間、韓国・北朝鮮・中国に関する外交は全然前進していない。北朝鮮拉致問題は、かの国の頭領に面会することすらできない。北方領土問題は鉦や太鼓を叩いただけで、目下森閑として虫も鳴かない。

 世界の真ん中で輝く国なる修飾語は腐りっぱなしである。文章は修飾語から腐るの典型だ。一言で表現すれば、その時々の事態に合わせて、コピー乱発、猫じゃらしにも似て、記憶力がいいとは言えない人々に対して、その場かぎりの空疎なコピーでお茶を濁す体である。

 意識調査では、安倍氏の他に人がいないという選択がつねに主流だ。明らかな錯覚・誤謬である。なるほど安倍氏流は安倍氏が適任である。安倍氏流しか政治がないと考えること自体が政治意識的未熟である。あるいは悪しき習慣でも、なじめばそんなものだという心理的陥穽にはまっている。

 与党陣笠各位にしてみれば、頂点に立つのは誰でもよろしい。自分が木から落ちなければ手堅い満足が得られる。各位それぞれが燃えるような政治的知見を有しているのではない。寄らば大樹で、政治家としての地位が確保できれば、あとは可能な限り愉快な政治家生活をする。これ、堕落の温床だ。

 自民党の派閥が弱体化して久しい。派閥は換言すれば陣笠諸君に至るまで政治的主張にこだわりがあって、ゆえに党内徒党を組んでハッスルした。いまや派閥が無気力化し、無気力徒党化した。権力掌握の醍醐味であって、長期政権による白昼夢の心地にあるにすぎない。起きながら寝ぼけている。

 さてこそ、野党は気合を入れて闘うべし。頂点の安倍氏から発したと思われるさまざまの不祥事、議会の空転、マスクにしても、GoToトラベルにしても、たまたまのミスではなく、無能にして根本的トンチンカンだということは、大方の人々認識した。「任せて安心」とは危険を隠すコピーである。

 立憲民主党と国民民主党の両党解散合併の動きが出ている。成功させて新規まき直しの新鮮な政治活動を創造するためには、何が必要だろうか? 結党大会での代表選出は当たり前だ。にぎやかに選出するべし。天下の政党たるもの、たまさか誰かの人気で私党的出発をするべきではない。

 政党名にかんして、簡単にまとまらないという。名は体を表すだから、当然であるが、その体たる綱領については政調会長に委ねる。党名は形式であり、綱領は中身である。わたしの常識では、中身(機能)が優れたものの外観=形式は美しい。これを、関係者には重々頭においてほしい。逆に言うと、中身の論議を大々的にやるべきだ。新党結成自体が形式的であったら、それは新徒党のレベルに終わる。くれぐれも銘記してほしい。

 腐っても与党は権力を握っている。権力ゆえに与党は結束が固い。権力なき野党が、与党を上回る結束をしなければ新党結成の意義はない。いままでのところ、関係者の燃え上がる熱意が見えない。燃えてマグマを形成せよ。それ以外に新党結成の未来は開かないことを忘れないでほしい。