論 考

よおーい、よおーい、デカンショ

 デカンショ節を替え歌にすれば、コロナ、コロナで半年暮らす、あとの半年寝て暮らす――という次第であるが、寝て暮らせないのが残念である。

 この半年、アッと今に過ぎた心地になる。自粛で行動範囲が狭まり、時間の過ごし方が平坦で環境から受ける刺激が少なかったせいである。歳をとると時間の過ぎるのが早いというのも右に同じだ。

 新聞の読者投稿欄に、「(小池都知事の)東京アラートって何だったの!」という意見を見た。いまの状態と同じではないかと、誰でも考える。投稿者は生真面目に自粛されていたに違いない。

 極論すれば半年間、報道される感染者数に誰もが一喜一憂して、明日こそは嬉しい数字になってほしいと思った。当初、7月ごろは「まあ、騒動が収まっているであろう」とぼんやり考えたはずだが、目下は、いささか当て外れだ。

 しかし、早かったようでも、この間の場当たり的な対策を日々見詰めていたものからすれば、まことにたくさんの疑問が残った。PCR検査数が増えたから感染者が増えたのであって、ノープロブレムだというに及んでは、開いた口が塞がらない。

 要注意は、あっという間に過ぎた時間の出来事は、あっという間に忘れるということだ。

 「東京アラートって何だったの!」と思われた方が、――踏みつけられて我慢していて、あとで文句を言っても仕方がない――という言葉の含蓄を理解されたことを期待する。