週刊RO通信

都知事選を考えてみた

NO.1361

 7月5日の都知事選投票が近づく。都知事選の大きい構図は、現職の小池百合子、山本太郎、宇都宮健児の3氏の争いとなるだろう。東京都在住以外の皆さまにも、いまの政治状況にインパクトを与える可能性がある選挙なので、考えたことを少々書いてみたい。

 小池氏は現職だから任期中の評価をうけねばならない。4年前には、「7つのゼロ」を掲げた。いわく、①待機児童、②満員電車、③ペット殺処分、④残業、⑤電柱、⑥多摩の格差、⑦介護離職である。コピーとしてはそれぞれインパクトがあったが、今回の抱負ではまったく姿を消した。実現したからではなく、ほとんど見るべき成果はない。

 伏魔殿の都議会を解散して、立ち上げた都民ファーストの会が大躍進したまでは思惑通りであったろうが、次の国政選挙で、立ち上げた希望の党が大惨敗した。築地市場から豊洲への移転問題は、結局反対を押し切って豊洲への移転を実現した。築地「食のテーマパーク」論は、看板あれど中身なし。東京五輪も「豆腐の一丁、二丁じゃあるまいし」の通り、当初予算が底抜けに増えて全体では3兆円、都の負担も大きく、庁内でもこれ以上の出費が都民の納得を得られるかどうか心配する声が出ている。

 コロナでは、安倍氏を手玉に取る剛腕の演出に成功して、盤石の体制で都知事選へという構図であったが、コロナ対策よりも五輪、五輪延期後はコロナ、選挙前には東京アラート解除と、コロナまでも政治的に取り込むテクニシャンぶりが露骨すぎて、人々の生活に密着した知事職に対する見識や誠意に疑惑が沸いている。

 選挙公報には、「東京の未来は、都民と決める」がトップコピーであるが、正しくは「都民が決める」であろう。場外では、緑のタヌキから『女帝』へと奉られ、したたかな小池氏は、これも強いリーダーシップ押し出しに使えると踏んでいるかもしれない。アラビア語には強くないらしいが、コピー屋としては、QoS(Quality of Service)、ワイズ・スペンディング、グレーター東京など、気分転換、猫じゃらし、ペンキ塗り作戦に余念がない。

 山本太郎氏の主張は、都民ファーストの会の都民ファーストではなく、都民の「都民ファースト」を打ち出す。「総額15兆円であなたのコロナ損失を徹底的に底上げ」するという。都民生活の衣食住こそファーストだ。「政治に足りないのは、あなたへの愛とカネ」だと、極めて直截的な表現をする。1960年代に、米国慈善事業が沈滞したとき、ハル・ステビンスが「Love costs Money」というコピーを打ち出した話を想起させる。

 宇都宮健児氏は、住民福祉の増進(雇用・営業・住まい)を掲げ、医療体制充実・コロナ対策と補償の徹底、都立・公社病院の独立行政法人化中止、カジノ誘致計画の中止など3つの緊急課題を打ち出している。宇都宮氏は、東大法学部在学中に司法試験に合格し、「貧しい人の力になりたい」として大学を中退して活動を続けてきた。年越し派遣村の名誉村長、地下鉄サリン事件の被害者弁護団長、多重債務者救済などに長年取り組んでいる。

 山本・宇都宮両氏の主張は、ジョン・ロック(1632~1704)『統治二論』にある言葉を想起させる。いわく、「神はアダムを日雇い労働者にした」。世界は無常、森羅万象ことごとく変化して止まらない。発生するのは厄介な問題ばかりである。それを乗り越えていかねばならぬ。まさに徒手空拳の日雇い労働者のごとく、問題があれば駆けつけて解決する。自分の知的活動を絶えず意識し、少しでも先へ進もうとするのが『日雇い労働者の美学』である。

 いわば、小池対山本・宇都宮の闘いである。権力志向対人間志向である。保守対変革である。管理思想対参加思想である。小池氏の特徴は既存保守の塗り直し戦術である。山本・宇都宮氏の主張は、単に投票してくれというのではなく、誰もが「自分の存在根拠を主張しよう」という呼びかけである。

 誰が主人公なのか? 善政を待つのではなく、自分が政治を築かねばならない。参加して民主主義を作って行こうというのである。わが国の現実政治は「権力は腐敗する」の見本である。根腐れ病のようなじっとりした政治が続いている。もう、そろそろいいじゃないか。1人ひとりが、手応えのある政治を作るための第一歩にしたい。