論 考

「名ばかり〇〇」の蔓延は非法治国家

 法や制度のお体裁がつけば法治国家だと勝手な解釈をしている連中が多すぎる。ものごとは形式と中身が一致してこそだ。

 たとえば「名ばかり事業主」である。以前は「名ばかり店長」で、非組合員にされてボロボロに働かされた。「名ばかり事業主」が組合を作って活動するのが妨害される。

 日本の資本主義は、明治初年からとしても150年余過ぎた。いまだに単純に儲かればいいのだと考えて行動する経営者が多い。銭儲けにしか関心なく、勉強しないのは守銭奴であって、まともな経営者ではない。

 「名ばかり社団法人」もある。こちらは政府機関が直々に関わっているからまことに嫌らしい。「名ばかり事業主」は全然おカネが回ってこないが、「名ばかり社団法人」は打ち出の小槌的なところがあって、委託されただけで大金が入る仕組みである。

 「中身と形式」を考えてみる。たとえば機械は必要な機能という中身を備えなければ、いかに外観(形式)だけ恰好つけても意味はない。尊敬する技術者は「機能が優れた機械の外観は美しい」と言われた。名言である。

 「名ばかり店長」「名ばかり事業主」「名ばかり社団法人」などが、われわれの前に繰り広げる事実は、中身がきちんとしていないゆえに、美しくなく、腹立たしいことばかりである。

 「名ばかり社団法人」についての説明が不十分である。正々堂々説明しないで、いわゆる官僚的答弁——これがまた形式があって中身がないのであるが、これを許さないようにしよう。