週刊RO通信

密着? 癒着?--はてさて

NO.1357

 先週本通信(NO.1356)では、「やめ」検事長の心理を忖度した位置から書いてみた。現時点で、その続きを書く。

 尊敬する新聞司法記者OB前澤猛さんから、要旨(私流に要約)、賭けマージャンのケジメのなさにあきれるが、本当の問題は不可解な定年延長をしたことにあるのだから、(周辺ドラマを)「懲戒」と大声疾呼するよりも、震源の「張本人」にこそ怒りを向けよう、という趣旨のメールをいただいた。

 前澤さんは、「記者にとって第一の倫理基準はconflict of interests(利益相反)への敏感さでしょう。これは検事を含む法曹人にも言えるでしょう」と書かれている。記者魂を貫かれた前澤さんの後世代を思いやる言葉がとても重たい。

 1974年8月、わたしは東京で活動することになったが、その半年ほど前、友人のN記者が大阪の社会部から東京の政治部へ転勤した。しかも三木武夫首相の番記者である。労働問題に精通している彼は、当初あまり気乗りしなかったが、しばらくしてやや興奮気味に話した。「政治の印象が変わった」という。金権政治が批判された田中角栄氏の次の政権を担った三木武夫氏は、従来にないデモクラット政治家であった。

 当時の番記者といえば、とにかく相手にべったり張り付いていた。政治家の自宅応接室で、乾きものをつまみにグラスを傾けつつ歓談弾んだ。田中角栄首相は番記者たちに、ブランデーVSOPだったか、レミーマルタンだったかを勧めて、自身はロックで飲んだとか。宮沢喜一首相は酒豪で、番記者のグラスが空いても気づかないでしゃべり続ける。記者がグラスをカラカラ振るのでカラカラ亭だとか。記憶が確かでないが、こんな話も覚えている。

 堅くいえば政治家が記者を供応する形であるが、記者にすれば取材であり、本心を探るのが目的である。しばしば話が核心に入って、大学のゼミか、政治討論会かという趣にもなった。当然ながら記者の見識が問われる。政治家にしても、自分のとりまきのヨイショで裸の王様になりたくない。記者から本音の有益な話を聞きたい。単に手懐けて仲良くなるためではなかった。

 いまの首相は、目下のコロナ騒動では夜の会合を控えているが、以前は連日のように会食に精出した。首相の日々動静から、記者連との会食もあるが、おそらく前述のような内容ではなかろう。というのは、議会における紋切り型、官僚型の答弁しかできない人には、自分の言葉での自由闊達な議論ができるわけもなく、番記者ではなく親衛隊的顔ぶれだからである。

 ついでに——70年代は政治家だけでなく、春闘ともなれば労働記者は夜討ち朝駆けで経営側の担当重役や、組合幹部を取材した。深夜近く、専務になったばかりのS氏宅勝手口のドアを誰かがノックする。たまたま家人は留守でS氏が「どちらさんですか?」と問うと「朝日新聞です」と答える。S氏は、「新聞代はいくらですか?」と聞いた。実は記者であったが。

 さて、今回の「やめ」検事長と産経記者・朝日元記者のマージャンは、取材とすっきり割り切れない。検察は非常に取材しにくいところで、ブラックボックスだと言われる。その大幹部の検事長とマージャンする関係を作っているのだから、敏腕記者なのであろう。

 実際のところ、公職者と記者の関係というよりも友人として遊んでいたのではないか。遊びつつ人間関係を深めていく。いざというときに大スクープするつもりであったにしても、スクープを自作自演した笑劇である。

 「やめ」検事長が置かれた立場、状況を考えると、検事総長になりたかったのであれば慎重を期すだろうし、絶対なれると楽観して、仲良し記者に記事をよしなに書いてもらいたかったのか。鬼平のパロディみたいであるし、どこか自暴自棄の匂いがして、依然としてミステリアスである。

 余談が過ぎたので話を戻す。「利益相反への敏感さ」についてである。新聞記事は、報道する事実の客観的公平さが大事である。記事の内容に影響を与えるようなバイアス(偏向)があれば、利益相反が生じる。お仲間の立場を考えて、取材した内容を意図的に報道しなかったり、あるいはひいき目の記事に仕立てたり、プロパガンダをやるなど、やってはならない。

 記者はもちろんだが、天下の大新聞は重々自戒してほしい。