論 考

責任

 1946年9月30日、ニュルンベルク法廷で、第二次世界大戦におけるドイツの主要戦争犯罪人に対する判決が出された。裁判自体に関するさまざまな主張があるが、それは横へ置く。

 わたしが強い刺激をうけたのは、首席検察官ロバート・ジャクソンの最終陳述である。いわく、

 ――被告人たちは、何も見ておらず、何も聞いていない。彼らの主張を総合すると、でたらめなヒトラー政権の姿が浮かび上がる。

 政府No.2の人物は、反ユダヤ主義の法律に書名しながら、ユダヤ人大虐殺に気づかなかったという。

 No.3の人物は、ヒトラーの命令を読みもせず伝達しただけだという。

 外相は外交問題に疎く、外交政策を知らなかった。――

 これは、もちろん権力支配者の頂点に立っていた人々が、責任回避の弁明を重ねることに対して発せられた言葉である。

 ところで、主権在民の国において国政に関して、「わたしは1国民に過ぎないから知りませんでした」ということは言えるが、厳しく考えれば、責任回避の弁明にしかならない――と、わたしは思う。