論 考

感染の研究はどこまで来たか

 大方の関心が自粛の行方にあるとしても、ただ感染者数が思うように減らないということだけで対策するのでは効果が薄い。

 たとえば、どのような状態で人から人へ感染するのか、いままでの聞き取り調査である程度は感染の状況がわかっているのではないのか。ただ距離を取れというだけではイメージが沸かない。スーパーなどの買い物で、短時間、お互いに触れず、会話をしなければまったく問題がないのか。

 感染した方々が感染した「決め球」に近いことはわからないのか。誰もが手洗いを頻繁にしているとは思えないし、消毒液を使っているとも考えにくい。感染した方々はどの程度の防御措置を取っておられたのか。

 緊急事態について憲法に掲げたいと安倍氏は語るが、人々の行動を縛ることを強化しても、コロナ対策の中身がしっかりしていなかったら無意味というよりも有害である。

 とりわけ人々の行動を制限するような事態には、何が起こっていて、いかなる理由で、それがおこなわれるのかということについて、人々が納得できるような説明をしなければならない。

 しかし、この間政府当局が透明性ある説明をしたという記憶がない。突かれれば嫌だから、きちんと説明しない。説明しないから追及される。追及されるとさらに殻の中に閉じこもる。その結果、不信感が高まる。

 このようなパターンを続けているから、安倍氏がいかにパトリオットを気取っても、真に国民と国を思う人だと評価されない。仲間内でいかに気勢を上げてもだめだ。まずは、公開性・透明性をきちんと確立して、人々の信頼を獲得するのが道筋である。