週刊RO通信

長期戦の構え・雑感

NO.1353

 苦労しておられる方々には非常に申し訳ないが、COVID-19騒動にあっても、当方の日常生活はほとんど変化がない。書斎的事務所にこもって机の虫する生業で、もともと出不精だから、日常自体が自粛生活みたいなものだ。おまけにテレビは10年近く全然見ていない。新聞は読む。ラジオは聴くがもっぱら言葉の少ないクラシック音楽に絞っている。

 1970年ごろ、開高健(1930~1989)は「テレビは淫祀邪教のたぐいの騒音を発し、新聞は雑巾に似ており、政党は分裂、迷走とどまるところを知らず——田園はまさに荒れている」と痛罵した。開高さんほどの知性を持ち合わせないから共感すると断言すれば失礼だが、同方向である。とりわけテレビの騒音と付き合わないのが、当方の健康法の1つであります。

 COVID-19作戦が容易でなく、長期戦にならざるをえないという理解や自分なりの覚悟はしているが、煎じ詰めれば「自粛」呼びかけに止めを刺すだけの采配に対しては疑問も不満も少なくない。何が問題なのかというと、しっかりした現状分析が聞こえてこない。医療関係者が個人防護具すら不自由しておられるという事態である。政府は改善努力しているのか。

 長期戦覚悟を大声疾呼してもらわなくても、大方の人々がわかっている。長期戦で大切なことは、事態を全体で共有しなければならない。たとえばPCR検査体制について、安倍氏は2か月前から同じことばかり語っているが、いまだ2万件のはるか手前をうろちょろしている。医療を崩壊させないために感染爆発を抑えているのだから、医療体制がいかように改善されているかについてきちんと報告するのが筋道である。政治家の腕の見せ所だろう。

 大岡昇平(1909~1988)は、『俘虜記』『野火』『レイテ戦記』など有名な作品を残したので、お読みになった方も少なくないであろう。大岡氏は、もともとはスタンダールに傾倒していたが、戦場へ駆り出され、捕虜にもなった。骨の髄まで戦争体験が染みつき、かの戦争から日本人なるものを徹底して見つめ直そうとした。1970年ごろ、大岡氏は「負けたということが昭和20年代のわが民族の大問題のはずだったが——昭和40年代にも、それは同じだと思う」と語った。

 この言葉は極めて重たい。何が何してどうなって敗戦したのか。敗戦直後に大問題であったことが、解決されずに70年まで来たのである。では、それから50年後の今日には大問題ではないのか。とんでもない。依然として大問題である。国内だけで360万人が亡くなった戦争の総括がなされていない。それどころか、高度経済成長から経済大国になって、戦争の記憶が遠のいたのをこれ幸いと、戦後政治総決算路線を歩むというのが保守人士の看板だが、実は戦前体制への回帰路線に過ぎない。勉強していないのだ。

 鈴木大拙(1870~1966)は、的確な日本人論を展開した。いわく、「(かの戦争は)無条件降参したが、詔勅から政府文書まで、どこにも降参の文字は出ない。代わりに『終戦』という。——日本人は覿面(てきめん)を避ける、合理的ではない」。覿面を避けるとは、本質と対峙しないという意味である。

 実際、降参による敗戦を終戦と言ったのでは、まったく意味をなさない。負けたのであるが、負けたのではない、終わったのである? 事実は、当時軍部中心に「一億玉砕」を叫んでいたように、降参しなければ、お望み通り壊滅してくれたのである。だからと言うべきか、占領が終わって独立した52年4月28日に、人々挙って大喜びしなかった(できなかった)。本来、独立の意味からすれば、とても奇妙な光景であった。

 風呂敷を広げ過ぎたが、この事例は、敗戦を悔しがれと言いたいのではない。鈴木氏が指摘した覿面を避ける気風が、いまも決定的に日本人の無意識の意識を支配しているのではないかという懸念である。かつて陸軍パンフレット『国防の本義と其強化の提唱』(1934)の冒頭書き出しは「たたかひは創造の父、文化の母である」とあった。名文句である。しかし、科学的現実的ならざる無謀な大戦に飛び込んでしまった事実を忘れられない。

 いま、ウイルスとの戦いに勝利するというような正確さを欠く修飾語に基づいて采配が揮われているが、現場に足をつけた作戦が展開されているであろうか。誰もがよく考えて、納得できる挑戦にしたいものである。