論 考

具体的対策が依然として見えない

 街の声では、緊急事態宣言が遅かったという声が多いようだが、ある種の錯覚がありそうだ。つまり、緊急事態宣言が出れば何かが変わるという錯覚である。宣言がなくても各人が慎重に行動すればよろしい。しかも、宣言はウイルスに効果はなく、各人の生活に直接の影響が出る。

 感染者の「経路不明」という言葉の意味が不明で、どういう意味かと思っていたら、今朝の日経にその内容の記事があった。要するに、感染者が話したがらないという。対応して調査する側の聞き取り不十分というわけだ。これは経路不明でなくして、ヒヤリングができていないというに過ぎない。

 緊急事態宣言の拠り所は、専門家が感染の実効再生産数を3程度に設定して、今後2週間で感染者1万人、1か月後には8万人になると試算したことにあるらしい。しかし、感染者が発生した場合にヒヤリングがきちんと実施できないのでは試算自体のバクチ性が大きい。悲観的に見ておいて、結果がよければいいじゃないかというわけにはいくまい。

 最大限、できることを「きちんとやる」という信頼感がなければ、人々の気持ちがますます不安定になってしまう。

 6日に安倍氏は、PCR検査を2倍の1日2万件に引き上げると発言したが、実際は1日2千件程度らしい。このような数字の不整合も疑心暗鬼を招く。今朝の東京新聞読者の声欄に、――感染者と接触があったのに自分の名前が感染者リストになかったので、申告して追加してもらった。37.5度の発熱があり、保健所に連絡すると、軽症者は2週間ほど自宅観察してくれと言われて検査してもらえなかった――という。

 外国からは日本は検査体制ができていないと厳しい批判が出ている。宣言すればなんとかなると考えているのか、またまた例によって問題先送りの体質が露呈しているのか、報道を見る限りでは容易に判断しにくい。