論 考

対ウイルスの指揮・戦闘体制はいかに!

 第二次世界大戦で、とくに米英を中心とした戦略戦術の特筆大書は、欧州の独伊とアジアの日本との両面作戦において、まず欧州を決着させ、それからアジアへ対処するという極めて当然なような見えるかもしれないが、基本的戦略を固め、その手順を、1つひとつ丁寧に齟齬をきたさないように展開した。

 基本的戦略がぶれなかったのは、寄り合い所帯の連合軍を考えれば、やはり実に見事な対応であった。各国の指揮体制が盤石であった。

 また、米国の兵員募集、訓練、さらに戦地展開に際して、詳細な注意事項を末端の兵士1人ひとりにまで浸透させた。何のために、いかにして戦うかについて整然と整理されていた。兵站、つまり食料・武器、戦闘のために必要な体制をつねに漏れなく整えた。米国の一貫した物流体制の計画と実践には、いまも舌を巻くばかりである。

 総体として、問題を明確に絞り込み、すべての活動手順を論理的に検討し、緻密な実践計画を立てて行動した。対する日本は、初めから戦争体制が人材・物量ともに整わず、いざ戦闘となれば現地指揮官の勘に委ねたとしか言えないような状態であり、まして、長期戦を戦う体制などできてはいなかった。

 今回の対ウイルス戦ではどうか。端から医療体制がおぼつかない。感染発症を遅らせるという戦略を取らざるを得なかったのは理解できる。しかし、感染発症を遅らせる戦略一本鎗で、この間に、医療体制を整える活動が効果的であったかどうかについては大きな疑問がある。

 重症者医療の決め手であるECMO(人工心肺装置)は、医師ら7人程度で活動するが、かりに装置があってもそれを使いこなす人が間に合わない。中国が10日間で病院を建設したのは軍事技術の転用である。その器があり、医師・看護師の手配ができたから死亡は3300人辺りで食い止めている。

 緊急事態宣言の発表に関心が集中しているが、戦時でいえば、一億一心でやろういうプロパガンダに過ぎず、感染しないように徹底したとしてもそれだけで対ウイルス戦を成功させられない。

 戦争にたとえて恐縮だが、兵員、兵站をいかにして整えるか。これこそが対策の本丸であって、丸腰では戦えない。基本的な体制をどうするのか。いまだ、国民の目に見える体制が公表されない。「責任を政府のせいにしないでくれ」とツイートしたプアな議員がいるが、これが本音に見えてくるではないか。