論 考

民主主義の民として考えたい

 わが国は民主主義の憲法になって74年になる。

 民主主義の社会的気風が高まったのは、第一次世界大戦後の1920年前後を頂点とする大正デモクラシーといわれる時期であるが、軍国主義が高揚して、1931年の満州事変当時には活気を失った。

 敗戦前の日本にも民主主義機運があったというのは、大正デモクラシー時代をさしているが、長谷川如是閑(1875~1969)が、厚化粧のようなものだと後に自嘲的に語ったように、長く続いた封建主義をきっぱり拒否するという地平にまで到達しなかった。

 だから、1946年の日本国憲法は、人々が意志的に求めて結実したのではなく、占領軍治政の一環として登場したというべきである。

 もちろん、少しものを考える人であれば民主主義の素晴らしい理念に気づいて大いに支持したであろう。また、軍国主義、戦争に対する痛切な怨嗟の気持ちを持つ人は圧倒的だった。しかし、一時的な熱は冷めやすい。

 憲法学者宮沢俊義(1899~1976)が指摘したように、国民的意識革命によって民主主義憲法が誕生したのではなく、日本国憲法制定による民主主義革命が開始したという見方が妥当である。

 問題は、この74年間に、民主主義革命がいったいどの程度前進したのか。熱しやすく冷めやすいのが日本人的特質だといわれるが、760年続いた封建意識から民主主義意識に一気呵成に転換しないと考えるべきであろう。制度は変わっても人心は容易に変わらない。

 民主主義の来し方と現状を、1人ひとりの課題として考えたい。安倍的政治なるものを見ていると、その気持ちをますます強くする。