論 考

枝野氏に本当の政治家精神があるか

 立憲民主党の大会で、枝野氏は「政権を担う」「理念・政策をぶれずに貫く」ことを強調した。それ自体は当たり前であるが、実は当たり前ではない。

 読売新聞社説(2/17)が主張するごとく、「説得力ある政権構想」を示したとしても、消費者がコンビニで品物を選ぶように、直ちに飛びつくわけがない。

 巷間、政権を担う気がない政党は無意味だという理屈が流布しているようだが、担う気があることと、いま、何をなすべきかとは大いに異なる。

 かつて社会党が万年野党としてボロクソ批判されたが、社会党がそれなりの対抗勢力であった時代の自民党は、少なくとも今日の安倍自民党のごとく無茶苦茶はできなかった。

 社会保障にしても、政権を担ったのは自民党であるが、社会党が代表した国民の意見を反映して形成されたのである。

 つまり、政権を担った政党が何から何まで面倒をみるというのではなく、政治的力学においてできるだけ多くの国民が心地よくなる政治をすればよろしい。

 政権交代は、いわばガラガラポンである。在庫一掃整理によって、新しく清新な政治が登場するかのような幻想を抱くのは大間違いだ。

 もちろん、枝野立憲民主党が立派な政権構想を描いてみせるのは歓迎する。しかし、いま、直ちにやるべきことは、まさに憲法無視・法律無視の政治が白昼堂々と行われているのであるから、その誤った状態を直さなければならない。わたしは、「民主」政治を再建するという目的で野党が大同団結するべきだということを、声を絞って主張する。

 一気呵成に理想的な政治ができるなんてことはありえない。まず、野党第一党としての枝野立憲民主党がやるべきことは、野党の結集である。その道筋を看過しては、政権交代などありえない。

 議会が民主的に運営されるようになったら、国民の政治的無関心も変わるし、それを推進した野党勢力が評価されるのである。