週刊RO通信

リーダーとしての心構えを

NO.1341

 わたしが2千人の工場にある組合支部で執行委員選挙に出たのは22歳になる前であった。たまたま2週間ほど出張中だったので、仲間が立候補届を出した。3人枠に4人立候補で、他の3人はいずれもすでに地盤を固めていて、そこへまったく無名の新人が紛れ込んだ。落選必至と見られていた。

 同年配の仲間数人とは3年前から組合活動の勉強会をやっていた。仲間は「どうせ君なんか直ぐに活動を止めるやろ」と、嫌味を言っていたから、いまにして思うと、連中も勉強会の宣伝用に面白半分の当て馬だったに違いない。それが最下位3位ではあったが、2位に肉薄して当選した。意外だった。

 仕事は丁稚奉公中の役立たずで、機械設計図面を描くがミスがあって現場から呼び出し電話がかかる。その際の謝り方が素直でよろしいと妙な評価をされていた。仕事をさせていたらどんな大穴を開けるかわからないから組合へ放り出したという説まで登場した。汗顔の至りである。

 尊敬する2人の先輩から親身の助言をいただいた。半世紀以上が過ぎたが、わたしはそれを忘れたことがない。自分のリーダーとしての心構えとした。

 他所へ転任されたH先輩からの手紙は、「組織というものは大きいから個人が容易に動かせるものではない。しかし、組織は人が動かすものだということを忘れないようにしなさい」という要旨である。気持ちに沁みた。組織は、人が動かす。人がいなければ組織はできないし、人がちゃらんぽらんであれば組織の活動は成り立たない。

 民主主義の、いろはの「い」だ。はじめに組織ありきではない。はじめに人ありきである。組織は、1人ひとりでは解決できない課題を解決するために作られたはずだ。課題とは単に経済的問題だけではない。人、すなわちそれぞれの人生が実り多きものになるようにつねに追求されねばならない。

 その程度は直ぐに納得した。それを1つの形にしたのが、1970年代から80年代にわたって社会的に大きな問題を提供した人生設計セミナーの企画・開発・実践である。わたしは82年に組織における活動の舞台を離れた。その後の動きをみると、人生設計セミナーは90年代には衰退した。

 90年代こそバブル崩壊して、働く人にとって「いかに生きるべきか」という痛切な課題が突き突き付けられたのであるが、労働の哲学を育てることができなかった。組織を去るとき、わたしは「広い舞台で活動を追求する」と述べたのであるが、いかんせん非力は覆うべくもなかった。

 非力の核心は勉強不足だ。人生設計は理論的には人間学(Anthropology)である。人間の存在と本質を明らかにする。それも生身の人間が活動する舞台で実践的に追求されねばならない。ようやく気付いたのは21世紀に入っていた。我流の勉強が歯痒い。H先輩の言葉を深化させていなかった。

 I先輩からは、「君は執行委員の末席だが、組織の役員というのは権力機構の1人である。それをいつも忘れてはいけない」と忠告された。この言葉もまた奥が深い。顧みて反省するのだが、ともすれば組織機関の活動にのみ翻身して、誰のための活動なのかを失念しやすい。

 雇用関係において雇用者と被雇用者を比べれば、被雇用者はまったく非力である。だから個人が集まって組織を作り、集団的労使関係において労使対等を構築する。しかし、組織の役員は個人としては他の労働者とは異なる。自分だけが労使対等を謳歌するという落とし穴にはまりやすい。さらに大きな組織であればあるほど、組織機関を動かすのが大変であるから、それに埋没してしまうと、「誰のために」の核心を見失う。

 「1人はみんなのために、みんなは1人のために」という言葉があるが、1人はみんなのためにの「みんな」を組織機関と短絡してしまいやすい。その結果、組織の役員は組織の官僚と化す。これはまことに大きな、致命的欠陥である。「1人はみんなである、みんなは1人である」という狭き門をくぐらねばならない。「みんなは1人である」を追求することが「連帯」である。

 ロートルの自省的回顧を記したのは、いま、春季交渉の時期であるが、その活動が組織機関だけの活動に停滞しないように、リーダーのみなさんの善戦敢闘をお願いしたいからである。すべての職場で「話し合い」を展開する心意気でがんばっていただきたい。