論 考

メルケル氏の思いを忖度する

 ドイツのメルケル首相の任期は2021年である。これで4期目の長期首班が終わる。移民受け入れ問題で壁にぶつかり、国内に極右が台頭して、一時期の人気が下降した。次はないというものの、後継者らしい人材が登場せず、世界の良識政治家を期待しているものとしては心配である。

 自国第一主義や力の論理を振り回すトランプ氏に正面から意見した記憶はいまも鮮明である。

 EUも新体制になった。EUが自由貿易と多国間主義を掲げていることは変わらないが、イギリスが離脱して、その具体的な始末はこれからだ。EUにとってもイギリスにとっても容易ではない。EUがイギリスにサービスしすぎれば、内部の不協和音が高まる。

 1918年、第一次世界大戦がようやく終わったとき、欧州知性人の代表格であるP・ヴァレリー(1871~1945)は、『精神の危機』で、秩序と無秩序という2つの対立が絶えず世界を脅かしているなかで、「欧州の知性はどうなるのか? 平和とは何か?」と問いかけた。その方向性は、「想像力と論理的綿密さ、悲観主義にならず健全な懐疑主義」を展開することだと主張した。「思考は発展させねばならず保存されねばならない」とも書いた。

 フィナンシャルタイムズのインタビューによると、メルケル氏の評価について、「手探りで出口を探った」のみではないかという批判があるらしい。それに対して、メルケル氏は「わたしは自分の仕事をするだけだ」と応じた。

 メルケル氏の政治信条には、優秀な能力を持ちながら、ナチスを生み出したかつてのドイツについての深刻かつ強靭な歴史的反省がある。わが国の政治家がひらひらチャラチャラと田舎芝居を演じているのとは根本的に異なる。

 M・ウェーバー(1864~1920)は『職業としての政治』で、政治家の党派性・闘争性・激情性の危惧を語り、大切なのは無私の情熱・責任感・判断力をもって自分の仕事に当たることだとした。その末尾は「現実の世の中が、どんなに愚かで卑俗であっても、自分を捧げ尽くせる人たること」である。

 わが国にメルケル的政治家がおられるであろうか?