論 考

職場の同窓会

 昨日、宝塚で昔の職場(三菱電機・衛星通信の機械設計)の41回目の同窓会に参加した。わたしが同社を退職したのは1982年であるが、その少し前から開催されている。職場の同窓会がこんなにも長く開催されているのは、ちょっと珍しい。

 職場のリーダーは当時課長であった故森川洋氏である。森川氏は早くから国産人工衛星の打ち上げに情熱を燃やしておられて、それを実現され、飛翔する人工衛星を追うかのように早逝された。

 愉快な職場であった。仕事中でも笑い声が絶えず、仕事は受注開発即納品の厳しいものであったが、上下左右の連帯感は半端でなかった。

 今年は、この間三菱電機がブラック企業大賞に連続2年輝いた! というので、情けない、悔しいという言葉が飛び出すのは当然だった。当時、わが職場は他の職場とは異なって事業所内でも異質の気風であった。「森川組」という言葉が他職場の人々からささやかれていた。

 格別絵にかいたような素晴らしいマネジメントが展開されていたわけではない。わたしなど身の程弁えず、課長に「長時間労働をなんとかしてください」と就業時間中に5時間も談判した。受注がなければ動かない。中枢メンバーは世界中を飛び回って受注に苦心惨憺された。当然ながら、無理筋承知で受注するのだから、設計に工作に過大な負担がかかる。

 そんなことは承知の上で、丁稚奉公中のわたしなどが文句をつけるのだから、申し訳ないとはいまでも思うが、黙っていられないし、黙っていてたまるかという気風が育っていたのが、わが職場である。もちろん文句をぶつけたから解決するわけでもない。

 しかし、上意下達、下情上通なんてことではない。職場の上下関係があろうとなかろうと、対等の人間同士じゃないか。言うべきことは言うべし。そして、また、課長も内心はこの野郎と思っていたにしても、対等に相手をされた。その気風に育った仲間であるから、41回も同窓会が続く。

 わたしは職場では脱落第一等であるが、この気風はチームで働く人々が絶対に確立しなければならないことであるから、いつも大きな顔をして参加させてもらっている。肉体的にはだいぶ老朽化した面々であるが、相変わらず元気溌剌、上下関係などあるようでない。友情が脈々続いている。わたしは三菱電機を第二の故郷だと公言してはばからない。

 なんとかして、古き良き時代の、いや、そうではない。わたしたちが作っていた職場の気風は、いまの日本の会社で働く人々がめざすべき大切な方向だということを改めて感じ入った。