論 考

言葉が腐る

 文章の世界では、「文章は修飾語から腐る」という。いかに言葉を調子よく飾り立てても、中身がない文章はスカスカで、文章=形式があっても中身を伴わないからまったく意味がない。

 「中東情勢を深く憂慮する。日本ならではの外交を粘り強く展開する」という言葉を語ったのは記者会見における安倍氏である。

 日本ならではの外交とは何か? 対米外交は米国次第、対中外交も相手次第、対ロ外交ももちろん相手次第であることから推察すると、日本ならではの外交の意味は「相手次第」ということになる。

 かくして、中東情勢を深く憂慮するという言葉自体が単なる修飾語に堕す。

 本日、毎日新聞社説は「安倍首相の年頭会見 仕上げの道筋が見えない」と書いた。中東問題に限らない。一貫して中身がない政策を展開してきているものだから、仕上げようにも仕上げるものがないのが遺憾である。

 語らねばならぬことは語らず、語らずともよいことは延々と語る。語るという言葉と同じ音の「騙る」が似つかわしい。

 こちら、野党には気合を入れてもらいたい。対等合併よりも、大同団結という旗印で行け。数が少なく闘いにくいのは同情するが、報道の通りであれば、国民諸兄姉は、いかにもちまちまとして覇気が感じられないと考えるだろう。

 死に体の相手と調子を合わせてはいかん。スカッと行こう。