論 考

狂ったトランプと闘う民主主義者

 米下院がトランプ大統領の弾劾を決議したとき、トランプ氏はミシガン州のベルトクリークで、7000人の聴衆を前に選挙集会で演説していたらしい。

 トランプ氏は弾劾を「民主主義に対する宣戦布告だ」と罵倒する。外から見ていると、民主主義を破壊し、権力を恣意的に駆使しているのはトランプ氏である。本人は、自分が正しいと思っているから、それに立ちはだかるものは敵であり、したがって民主主義の敵だという理屈になる。

 表現の自由もそうだ。かつて表現の自由は、権力に弾圧された経験から、民主主義の基幹的権利として高唱される。ところが、昨今は、権力側に位置する人々が言いたい放題、ヘイトスピーチまで含めて、表現の自由だと言うのだから始末がわるい。

 米国では、「フェイクも表現の自由だ」という見解が出ているらしい。このような事態だから、大統領弾劾が圧倒的世論にならないかもしれない。トランプ氏が弾劾を逆手にとって、次期大統領選挙を有利にするという観測もある。

 わが新聞は「(弾劾によって)米国内の分断と亀裂が拡大した」という見方をしている。たしかに事態はその通りである。わが国では、首相を筆頭に、権力濫用、背任、横領というべき事態が露見し、その審議過程では資料の改ざんをはじめ、廃棄、まともに答弁しない事態が積み重なっても、国内は安定! している。かくして読売社説(12/20)は、大所高所的視点から「米国政治の劣化」を嘆くわけだ。

 しかし、米国の人々は闘っている。もちろん闘いの帰趨はわからないが、闘わずして国内的安定を続け、民主主義が長期的劣化一筋に進むのとは違う。やはり、米国民主主義は健全だと、わたしは思う。