週刊RO通信

人事部の誇りはどこへ消えた

NO.1332

 三菱電機の新入社員が8月に自殺され、教育主任が「死ね」と発言したことや、会社の人間関係についてメモが残されていた。教育主任が自殺教唆容疑で神戸地検に書類送検されたという新聞報道に驚いた。

 刑法第202条(自殺関与及び同意殺人)には、――人を教唆し若しくは幇助して自殺させ、又はその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺した者は、6月以上7年以下の懲役又は禁錮に処する――とある。

 教唆とは、本人に自殺の意思を抱かせることである。「自殺しろ」というのがそれに当たる。脅迫などの心理的・物理的強制を与えて、自殺以外に選択がないと思わせた場合は殺人になる。

 これ以外にも技術者や研究職の社員5人が、長時間労働が原因で労災認定されている。うち2人は過労自殺であった。また、新入社員が上司先輩のイジメが原因で自殺したとして遺族が損害賠償を求めている事件もある。

 三菱電機はあと2年で創業100周年である。長く総合電機3社の末席で日立・東芝の後塵を拝してきたが、2006年に株式時価総額が日立を上回り、現役はもとよりOBも驚いたり喜んだりした。

 わたしは1982年に、19年半年勤めた三菱電機を辞めたが、自分の来し方を顧みるとき、第二の故郷であり、自分が育ち育てられた会社だという懐かしい思いに充たされる。友人・知人からすれば、あんなに愛社精神のなかった奴がと笑われるかもしれないが、事実なのだから仕方がない。

 当時も大きな会社であり、わたしが会社だと思っている世界は、見習い時代の機械設計職場であり、在社中の大方を熱中した組合活動の分野からである。もちろん、意気投合した仲間も多かったし、仲良くしなかった仲間もまた少なくない。しかし、全社的に鷹揚かつ自由闊達な気風であった。

 わたしは、労使関係を通じて人事管理の世界を見ていた。人事部は直接利益を稼ぐ部門ではない。だからこそ尚更、人事部は社内人事が円滑かつ効果的に機能するように一所懸命努力していた。よく職場を見ていた。直接生産に関わる部門との軋轢や衝突を恐れない気概を持っていた。

 人事マンの誇りは「人を育てる」ことであり、「人が育つから組織が育つ」という気風である。賃金交渉において、人事担当の常務が、渋るトップを説得してストライキ直前に事態を打開したこともある。つまり、個別労使関係においても、団体労使関係においても労使対等を忘れなかった。

 人事部が「人のこと」を取り仕切る全社中枢であるという誇りを持つ人事マンが人事行政を牽引していた。人事部が購買部の下請けだとか、経理部に頭が上がらないというような事情ではなかった。

 組合が1971年から中高年対策に取り組み、その実績をもって労使中高年問題研究会を立ち上げた。その柱は、全社員挙って「会社人間」ではなく「自立人間」をめざそうというロマンに結実した。(1979年)

 自立人間の精神とは、① 自分の意見・主張をもつ、② 計画性・先見性をもって自発的に行動しうる、③ 主張・行動に対して責任をもてる、④ 自己と周囲との積極的調整ができる――の4点である。

 当時世間一般の会社は「会社人間」こそが、会社が求める人材だという気風である。わたしはいろんな会社から呼ばれて講演に行ったが、「自立人間」を掲げる三菱電機の人事部は飛んでいるとしばしば感心されたものだ。

 「人を大事にする」というのが人事行政の柱であった。要は、1人ひとりの個性を大切にして、適材適所でいく。「排除の論理」ではなく「活用の論理」こそが人事だという意識が充ちていた。

 ある大会社の人事マンは「三菱電機の人事部は日本の人事部ですね」と言われた。わたしは組合側ではあるが実に嬉しかった。

 いま三菱電機は連結売上4.5兆円・全従業員14.5万人の大企業であり、わたしが在籍した当時の3倍以上になった。しかし、人事面で見るならば不祥事が続いている。大事なものを失っているように見える。

 いささか情緒的過ぎることを書いてしまったけれども、単に三菱電機だけのことではないと思うからである。「人を大事にする」会社をめざさなければ日本の産業界はこれ以上発展しない。人事部の奮起を切に期待する。