NO.1285
昨年は、官僚が政治家を忖度するという文脈で語られることが多かったが、よくよく考えてみると、実は官僚による政治家の忖度ではなくて、政治家も官僚もまとめて、仕事の精神が堕落しているのではないか。
厚生行政と労働行政は、圧倒的多数の、働いて生活を作っている人々にもっとも緊密な分野であり、たとえれば政治における空気と水みたいなものである。空気と水が汚れてきたら人々の暮らしが破壊されてしまう。
行政というものは、人々の生活に密着した事実のありようを可能な限り正確なデータに把握して、それに基づいておこなわれるのが基本中の基本である。調査なくして統計なし、統計なくして行政なしである。
今度は厚生労働省の毎月勤労統計が不適切に調査されている問題が露見した。しかも、それを知りつつ1年前から改変するソフトを開発していたというに至っては、不適切というよりも犯罪的行為である。
統計(statistics)とは、数量的比較を基礎として、多くの事実を素直な目で観察して処理するものだ。事実をいかに正確につかみ取るか、その精神と方法が統計の命である。
統計学もまた、わが国で生まれたものではなく、いわゆる輸入である。ものを数えるとか、量を測ることは、学問が成立する以前からおこなわれていたが、統計学以前においては恣意的な判断がなされていた。
政治において統計学が成立する以前の典型的な政治事件がある。「大蔵省事件」(1873.5.7)である。大蔵省事務全権・井上馨(1835~1915)と次官・渋沢栄一(1840~1931)のトップ2人が連名で建白書を提出し辞任した。
いわく「当年歳入4千万円、支出5千万円で1千万円の赤字。維新以来の負債は通算1.4億円である。先に使ったものの勝ちというような事情では国の将来が危険だ。官吏が民力を無視して功を焦り財政を無視している」。
井上と渋沢は就任以来、財政確立のためにおおいに突っ張った。善戦敢闘したのであるが、事態はなんとも動かしがたい。ついに堪忍袋の緒を切った2人が建白書・辞任という抗議行動に出たのである。
政府の会計決算が公表されたのは、辞任4年後の1877年2月である。算盤を使う人を侮るような武家気質である。直ぐに刀の柄に手をかける気風から、統計を活用するようになるには推進者の苦心惨憺があった。
行政の基礎資料を得るために、第1回国勢調査(census)がおこなわれたのは1920年(大正9)である。明治のご一新から半世紀、いまから98年前だ。
杉享二(1828~1917)は、統計学の普及に奮闘し、「日本統計学の祖」といわれるが、彼が提唱して実施にこぎつけた第1回国勢調査がおこなわれたのは彼の死後であった。
今日においては、「統計学というものは、数を数えて量を測り、筋道を立ててボンセンス(良識)によって静かに語るものだ」(杉原望東大名誉教授)という真っ当な考え方がすでに定着しているはずだ。
にもかかわらず、わが官僚諸君におかれては、まるで先祖返りしたかのように不祥事を起こす。明治以来150年を経て、統計の正しい精神と方法を無視するような事態を発生させるのは間違いなく「文明退化」である。
世の中の観念というものは、昔と比較すればはるかに遠くまで進化したはずである。しかし、1人ひとりは誰もがゼロから学んで世の中の観念に到達しなければならない。
いまの知性は昔の知性水準よりはるかに進化しているはずである。しかし、問題は「知性は意志に支配されている」という事実である。意志なるものが歪んでいれば、知性は新たな野蛮に向かって発揮される。
いまの政治権力者には、憲法を守ろうという意志がない。憲法を守ろうという意志がないのは、パブリック・サーバントたろうという意志がないのである。わが国の官僚もまたパブリック・サーバントの伝統を持ち合わせない。
明治の栄光のロマンを語るのは趣味嗜好の問題だが、おらが大将の幼児性を臆面もなく押し出す権力者とパブリック・サーバントの伝統なき官僚諸君との結託が、栄光どころか、政治の蹉跌をきたすことは疑いないのである。