週刊RO通信

英国的ワークライフバランスのセンス

NO.1266

 ちょっと面白いBBCの記事をみたので要約して考えてみたい。

 英国西イングランド大学の研究によると、通勤の移動時間中に仕事のメールを送る人が多くなっており、これが1日の労働時間を増やしていることを指摘した。英王立地理学会で8月30日に発表された。

 勤務時間の前後にもメールの返事を期待されるのは、ワークライフバランスを傷つけるのではないか。それが習慣になると労働時間が延びる。研究者は、これが健康的(人生)なのだろうかと指摘する。

 研究者のジュリエット・ジェイン博士は「仕事と家庭生活の間にある『境界線をあいまい』にし、通勤時間を仕事寄りにしている」と語っている。さらに「この時間をどう数えればよいのか? 労働文化は変革の必要があるのか」。なんと、「労働文化」の問題が立ち上がってきた。

 注目すべきは、「経営者らはかねて、仕事のメールやモバイル技術が、仕事とそれ以外に境界線を設定することを困難にしていると認識している」、「労働があまりに広がり過ぎると生産性を損なう」と注意してきたという。

 英経営者協会(IoD)のジェイミー・カー氏は「増している柔軟性は、ワークライフバランスを良い方向へと根本的に変える可能性をもっている。しかし、ストレスを強め、生産性を減らす可能性も残っている」と語る。

 さらに英産業連盟(CBI)のマシュー・パーシバル雇用担当部長は、「個人に自分のワークライフバランスを管理する手段を与えるという、常識的な手法が必要だ」と述べた。

 仕事の始まりと終了が簡単に記録できない。仕事の始まりと終わりを定義することは労使双方にとって不可欠である。規制当局にとってもだ。仕事がずるずるべったりになることについて経営側が問題意識をもっているのは、当然であるが、当然でないわがお国柄からみると新鮮である。

 2時間通勤をしているわが友人は、通勤を書斎として使っている。読書するとか、新聞を読んで思索する時間にしている。ひょっとすると「なんじゃ、イギリスの勤め人は意外に後れている」と思うかもしれない。

 通勤時間は労災対象ではあるが、電車通勤であればその間は「自由」に使える。だから、書斎と仕事と対置すれば、何やらわがほうがワークライフバランスにおいて優秀にみえるのではある。

 しかし、この記事をみて、彼我の労働時間、いや、個人の人生=時間に対する認識が、イギリスはやはりJ・ロック(1632~1704)のお国柄で、きちんと個人主義を踏みしめていると改めて認識した次第である。

 イギリスは産業革命の本家である。18世紀に産業革命が始まったが、個人主義どころか「レッセ・フェール」(自由放任)で、元気な新興ブルジョワジーが好き放題やった。

 F・エンゲルス(1820~1895)の『イギリスにおける労働者階級の状態』(1845)には、当時の労働者の惨たんたる生活と、労働者対ブルジョワジーの激しい対決が活写されている。

 ブルジョワジーは財産と国家権力を使って自分たちの利益を守ろうとした。労働者が自分たちの悲惨な生活から抜け出そうとする希望自体が、ブルジョワジーからすれば敵の核心であった。

 労働者が悪戦苦闘して結社の自由を獲得したのが1824年である。賃金決定、労働拒否、徒弟採用制限、合理化拒否、失業者援助などの取り組みが大きく前進した。

 特筆大書すべきは、労働者が猛然と学んだことである。ボロをまとった労働者が地質学・天文学など多くの知識を身に着けていた。片や、ブルジョワジーは、すべてはカネのため主義で、退廃、堕落、腐敗が進んだ。

 時間が流れ、紆余曲折を経て英国の労使関係は今日に至ったのであるが、その柱が英国のワークライフバランスに対する厳密な問題意識に表れているといっても過言ではなかろう。

 わが国ではワークライフバランスがパッと出て、スーと消えたみたいである。かの働き方改革もまるで基本的論議がなかった。イギリス人が作り上げてきた常識とわが国のそれとの甚だしい懸隔を感ずるのである。