論 考

中道改革連合の建設

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 今回の解散は批判の声が圧していたはずだが、フタを開けると批判どころか、高市をヒーローに押し上げてしまった。高市の演説たるや中身スカスカ、ひたすら自称救い主気取りで、聴衆が膨れるにつれて、いよいよ調子に乗った。大勝利あれば大敗北あり。突然の選挙で体制が整わない立民と公明の苦肉の策が裏目に出た。だからと言って、立民・公明それぞれで戦った方がよかったともいえない。

 異様な風だったというが、いずれの政党も風頼みの選挙をやっていることは否定できず、まぐれだろうが、偶然だろうが、脇が甘く隙だらけの高市にしてやられた。風というもの、追い風もあるが逆風もつむじ風もある。風頼みも神頼みも自分の力ではない。風頼みしないためには組織作りである。

 ポピュリズムという言葉が盛んに使われるようになったのは、2001年、小泉純一郎の登場からだ。「自民党をぶっ壊す」という売り出しであった。ただし、ぶっ壊すのではなく、再建の立役者になった。1982年登場の中曽根康弘は風見鶏と評された。追い風に乗った政治家だ。彼らは新自由主義へ傾斜して、今日の人々の閉塞感作りに寄与した。人気など当てにはならぬ。

 自民党は戦後日本で、元祖ポピュリズム党である。国家主義であり、財界党であり、憲法を変えるとか、それなりに軍事大国をめざしている。政策を概観すれば、いつもきわめて場当たり的である。場当たり的というのは、選挙時期に国民の関心が強そうなことを狙うからであり、損得にきわめて敏感である。自分党ともいう。汚職が多く、カネにとことん執着するために、政治を金儲けに使っていると批判される。

 政党は、与党(よ)・野党(や)・癒党(ゆ)に分けられる。自民と連立の維新以外は野党である。野党でも、自民党のアンチテーゼを掲げるのと、隙間を狙うのと大別できる。いまは、隙間狙いが多い。アンチテーゼを掲げても組織力・行動力が弱いから目立った成果を上げられない。そこで、癒党になりがちである。隙間を狙うのはやむを得ない面があるが、それだけでは永久に自民党の後塵を拝するか、連立に参加することになる。コバンザメ的である。

 立民と公明の中道はまちがいなく選挙対策として急きょ結成されたのであるが、中長期的にみれば、お互いもっとも親和力が高い。平和主義と民主主義は共通して柱であるからだ。

 公明が1990年代から続いた連立を解消したのは立派な見識である。平和主義と民主主義の公明党が、自民党の動きによって、党内での説得に悩むことは何度もあったろう。長年、危ない橋を渡ってきたのは事実である。ただし、自民党内ではリベラル派が右派を圧していたから、公明党が自民党のブレーキ役であり得たのである。しかし、高市を筆頭に右派が跳躍するようになると、いずれ袂を分かつたであろう。

 公明党は組織力があるといっても、昔のような活力はない。立民からの浸透提案は理屈では理解できるにしても、別々の党、しかも与野党として活動していたのだから、現実の難しさを無視できない。相当悩んだ挙句の新党結成であったと思われる。

 しかし、唐突の選挙であったから、新党結成しても万全の体制が取れない。しかも選挙においては、見事な負けっぷりである。この事態は慰めたり、弁解できるようなものではない。しかし、自民党の対抗軸を立てようとして決断したことは有意義であるし、間違いではない。

 今後の展望をどう考えるか。ほどほどの敗北であれば、中道「再建」なのであるが、すっきりと敗北であるから、これからの取り組みは、中道「建設」である。12日に新執行部が選出されるそうだが、今まであった絵画の上に違う絵を描かねばならない。それは、立民・公明の綱領を足して2で割るのではなくて、A+B⇒Cでなければならぬ。Cは、AとBの上位の綱領を持たねばならぬ。いわば、政党合体の弁証法である。

 中道の大敗北自体にも意義がある。立民が創建の志をずるずる忘れて、ポピュリズム政党の途をふらついたのではダメだ。専門店としてではない。総合店として、なおかつ自民党とは違う個性を押し出したい。そのためには、第一に、平和主義と民主主義をアイデンティティとして、すっきりした理論を構築すること。第二に、議員政党から脱却すること。党組織を小さくても全国政党として運動を起こしていく体制にする。後退したとき自民党の強さは、党組織がしっかりしているからである。議員は運動作りの先頭に立たねばならない。それを支えるのが党組織である。

 敗戦後80年、わが国の民主主義は制度はそうだが、中身は戦前と同じだ。国家主義から主権在民に代わったのは、編み笠を帽子に代えたのとは違う。この認識が中道の議員諸君に徹底しなければならない。