筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)
石破氏が、斎藤隆夫氏(1870~1949)が衆議院議会での発言を削減された、いわゆる「反軍演説」を完全復活させるように森山幹事長に指示した。これは、歴史的に意義がある行動で、ぜひ実現させてもらいたい。
反軍演説といわれるものは、1940年2月2日衆議院本会議で民政党の斎藤が米内光政首相らにおこなった1時間半に及ぶ質問の内容である。
質問は、支那事変(1937年から本格化した日中戦争)に関して、「ただいたずらに聖戦の美名に隠れて、国民の犠牲を閑却し、いわく国際正義、いわく道義外交、いわく世界平和、かくのごとき雲をつかむような文字を並べ立てて、そうして千載一遇の機会を逸し、国家百年の大計を誤るようなことがありましたなら、現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことはできない」と、痛烈に政府軍部の責任を追及した。
1937年の満州事変は、日本軍の陰謀によって開始したが、それは全面的に真実が隠された。続く支那事変もまた、戦争であるが事変と偽り、宣戦布告もなく、国民には戦争の目的、真意などさっぱりわかっていない。すでに、国民生活は甚だしく困窮不便の度合いを強めており、人々はやり場のない気持ちを無理に抑えていた。
斎藤は、1936年にも2.26事件をめぐって軍部批判(粛軍)を痛烈に展開し、人々の喝采を集めていた。今度の演説も、斎藤が登壇するというので人々の期待を集めていた。
事変(戦争)の早期解決を迫る斎藤質問に、またまた世間は大喝采した。国民の激励・支持の手紙は膨大なもので、いまも710通が残っている。
質問に対して、政府はまともに答弁せず。やり玉に挙がった軍部は怒り心頭激高して、政府・陸軍ともに斎藤の議員辞職を迫った。
小山松寿議長は、介入して演説の議事録削減で辞職圧力をしのごうとした。衆議院書記官長の反対を押し切って、演説の2/3を削除した。
石破氏が、復元しようとしているのは、この削減された演説である。
当時、演説の全文は一部地方紙で公表された。大評判であった。ところが、政府・陸軍の除名権幕は収まらず、最初斎藤に好意的であった新聞も政府軍部寄りにトーンを変えた。
斎藤は2月24日の懲罰委員会で質問を受けたが、斎藤を論理で追い詰めることは所詮無理な話であった。委員会後、斎藤は凱旋将軍のごとく退場したという。しかし、ついに3月7日斎藤は国会議員を除名された。
それから半年ほど、10月12日大政翼賛会が大々的に結成され、日本の議会は壊滅してしまった。石破氏が、斎藤演説の復元にかけた気持ちは、やはり、日本議会の現状と未来に並々ならぬ危機意識をもっているからだろう。
斎藤演説の復元は、過去の歴史の誤りの訂正のみにとどまらず、今の議会の在り方に大きな警鐘を鳴らすものである。わたしは、全面的に支持する。
