週刊RO通信

今週は自民党総裁選挙だが

NO.1364

 9月22日告示された自民党総裁選挙は、こんどの土曜日10月4日が投開票日である。表面的には、選挙戦は粛々と繰り広げられてきた。

 1964年7月の自民党総裁選は、池田勇人、佐藤栄作、藤山愛一郎、灘尾弘吉の4氏が争った。わたしは社会人2年目で、政治にあまり興味を持っていなかったが、総裁選の激烈、品位の無さはいまでも記憶している。

 選挙戦には現金が飛び交った。有名な❔ 言葉が、生一本、ニッカ、サントリー、オールドパーであった。所属派閥の指示通りで、やみ金を一派からいただくのが生一本、ニッカは二派、サントリーは三派、オールドパーはあっぱれ全派からかたじけなくいただく。誰に投票したのかわからない。この選挙は池田勇人が制した。党員投票はない。議員だけが投票した。

 こんな刺激的な自民党が、いまでは、まともな選挙戦を展開している。これは、当たり前ではあるが、まともになったというべきかもしれない。もっとも、新聞が報道しないだけで、密室では怪しい動きがあるかもしれない。疑えばきりがないので、下衆の勘繰りはやめておく。

 ただし、選挙戦三連敗で騒動になった最大原因は、旧安倍派面々の裏金問題である。国民の常識は未決着だが、自民党内では決着済みの認識らしい。臭いものにはフタ、人のうわさも七十五日作戦でしのぐ算段らしいが、果たしてうまくいくだろうか。問われているのは自民党的悪しき伝統だろう。

 粛々選挙はよろしいが、あまり面白くない。新聞は政策で勝負という。総裁に当選する前から、政策の隅々までよどみなく語れるものだろうか。たとえば、「経済成長の戦略をもっと明確に」語れというような注文は、いささか無理筋のようでもある。年がら年中、次期総裁はわたしが就任すると考えて準備しているわけではない。大雑把な考え方になるのは仕方がない。

 昔の自民党は、選挙で勝利したのだから、すべて任せてもらいたいと放言する議員が少なくなかった。心得違いも甚だしい。選挙で、いかに精緻な政策論を展開したとしても、実際の政治はもっと大規模複雑である。政権党がすべて仕切るならば、他の政党の議員はその間遊んでいればいいのか。

 そんな理屈はない。磨き上げた政策のつもりであっても、さらなる議員同士の討論によってさらに磨き上げるものである。政権党が仕切って当然という大錯覚が、中央と地方の人脈によって予算配分が決まるというような悪習を作り出した。いまだに、地方では中央直結の政治などを振り回している。

 粛々と進んだ選挙戦は、さしたる波乱もなく終盤に入った。いよいよ、清き一票を投ずるに際して、やはり、自民党員はいろいろ心中去来するものがあろう。連続三回選挙に敗北したから、なんとしても選挙に強い人を総裁に担ぎたいと思う。これは部外者にもわかる気持ちだ。

 候補者は、しばしば神輿に見立てられる。籠に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋をつくる人ともいう。籠を担ぐ人としては、あまり重たい人は担ぎたくない。では、軽ければよいか。神輿は、軽いもので500kg、重いものでは1トン以上ある。祭りの最高潮、神輿が集まってくると、重量感あるものと軽いものはすぐにわかる。別にありがたくは感じないが、重量感ある神輿のほうが、迫力がある。

 自民党総裁としても、そこそこの重量感がほしい。軽い総裁のほうが担ぎやすいだろうが、外国首脳と並んで見劣りしてほしくはない。もちろん体重の重さではない。発言の重みがほしい。かつて、メルケル氏が、トランプを説得する場面があった。政治家らしい、頼りになる堂々たる風格だった。

 選挙の顔というが、いまの自民党は直ちに解散総選挙に打って出られる事情にはない。ここは、ばらばらになったかのような自民党をきちんとまとめ上げていき、同時に、党外発信力のある人物が好ましかろう。いまの候補者の中にいるかいないか、いずれにしても、候補者の中から選ぶしかない。

 目下世界をにぎわしている連中は、いずれ劣らぬ悪役ぶりだ。力とカネがすべてだと認めてしまえば、政治どころかギャングの無法地帯だ。かつて日本は、資源エネルギーはないが、人材の宝庫じゃないかとおおいに鼓舞したこともあった。参院選からの空白76日、2025年の2割に当たる。話題独占というにはなんともやりきれない。よい結果をだしてもらいたい。