筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)
辞任を表明した石破氏が、戦後80年の見解を発表することに執念を燃やしているという。
わたしは、首相に戦後80年の談話を出してもらいたいと主張してきたが、辞任表明後にやるのは、ナンバーワンからテンまで評価すれば、ナンバーナインあたりだ。
石破首相80年談話の意義とはなんだろうか?
いまだ自民党内に「歴史トンチン観」を振り回す輩がいて、加えて参政党なるデマゴーグ政党が幅を利かせるようになった。人々の間に不細工な思想がばらまかれている。きっちりけじめを付けねばならない。
内外に正々堂々とした歴史観を表明できないような国は、諸国の信頼と友情を獲得できない。間違いや失敗を率直に認めてこそ正々堂々たる歴史観である。それができないのであれば、本当の意味で「戦後」とはいえない。
いままでの首相で評価できるのは村山首相の戦後50年談話である。議員にも戦争体験者がたくさんいた時代である。村山首相は社会党であって、連立内閣でも非力であったが、これだけはなんとしても貫きたいとして、紛糾覚悟、辞任を決意したうえで談話を発表した。
辞任を発表してから、初志貫徹するというのは順番が違う。もちろん、まだ任期は残っているから、土壇場まで頑張るという敢闘精神もわからなくはないが、辞任後の石破氏は、首相であって首相でない。時期を失している。
福島瑞穂は、どうせ最後なんだからイタチの最後っ屁でもなんでもやりたいことをおやりなさいとエールを送るが、ズレにズレている。石破個人の自己満足のために談話を発するのではない。こんなおつむだから、社民党に活路が開かないと言いたくなる。
手袋を投げて決闘する、決闘をやめてからは手袋を投げない。歌舞伎でいえば、役者が六方を踏むが、通り過ぎてから踏んでも、拍手は湧かない。
石破氏は慎重居士なのだろう。ただし、時期を逸してしまったのでは愚鈍のそしりを受けてしまう。仕事は段取りが一番。千慮の一失なんだろうか。
