筆者 新妻健治(にいづま・けんじ)
――日本労働組合総連合会(以下、連合)は、結成30年の総括を行わなかった。連合主催の30周年記念シンポジウムにおいて、連合は、「責任倫理」をもって、この間の労働環境の悪化ないし、連合の社会的影響力の弱まりに対して、見直すべきは見直して未来を創れと、学識者から総括反省を求められた。しかし、当時の連合会長は、別のシンポジウムにおいて、過去来の成果実績を未来へつなぐのだとし、この指摘を一蹴した。
考えるに、組織が、総括反省をしないことの動機とは、「リーダーの責任回避」、「組織総体としての現状への執着」、構成員間の「政治的意図」等、それぞれの保身を図る我執に拠る。その問題は、組合民主主義の否定でもあり、かつ、変化への対応を不全とし、総じて組織力を衰退衰微へ向かわせるという、大きなリスクをもたらすことになる。
連合を支える人たちは、このことについて、強い問題意識を持って、これまでの総括反省を成し、次代にむけた労働(組合)運動を築いていって欲しい。
結成30周年にあたっての総括
私は連合に、2016年秋から1年間、担当局長として在籍した。そのころ、連合本部では、次期2年1期の運動方針の検討が俎上に上っていた。当該の期は、連合結成から30年を迎える年度を含んでいた。(連合の結成は1989年、結成30周年は2019年)
ある日、実務を担う局長が参加し、次回中央執行委員会の議案の確認を行う会議で、事務局長から、この運動方針の方向性についての説明があった。
私は、その席上で、一つの問題提起をした。それは、この運動方針は、連合結成30周年に係るものであり、その年を起点に前後含めて、連合結成以来の総括反省を、組織全体で行うべきだと。また、その意味で、運動方針の基調としての前文には、その議論の発端となるような問題提起と、総括反省の実施についての考え方を記すべきだとした。
事務局長の答弁は覚えていないが、この問題提起は受け入れられなかった。
二つのシンポジウム
2019年、連合主催で、連合結成30周年の記念シンポジウムが開催された。このシンポジウムは、二人の学識者が連合への問題提起をし、経営者団体役員や学生、連合役員らによるパネルディスカッションをするという、二部で構成されていた。
そのなかで、とりわけ厳しい問題提起をしたのは、S教授であった。S教授は、この30年、非正規労働者の増加、経済格差の拡大、労働環境の悪化が進展したが、それはなぜそうなったのかを問い、その背景として、連合の社会的影響力が弱まっていることを問題として指摘した。
そのうえで、S教授は、連合は「責任的倫理」(結果について責任を負う倫理)のもと、過去を見つめて真摯に反省し、見直すべきは見直し、未来を創るべきだと提起した。しかし、モデレーターの連合事務局長は、真正面からこの問題提起を受け止めるコメントをしなかった。
2019年、時期を同じくして、日本記者クラブの主催でシンポジウムが行われた。趣旨は、この間の労働環境の悪化の問題を指摘しつつ、連合は、この30周年を機に、今後どのように取り組んでいくべきなのかを、明らかにしていくというものだった。
シンポジウムは、計3回開催され、問題提起をしたのは、労使関係と政治の各分野の学識者1名ずつと、神津連合会長(当時)の計3名であった。学識者2名の下りは割愛するが、私は、神津氏の見解に驚愕した。(以下、シンポジウムを記録したYouTube動画から文字興しをした)
「ある先生から(前掲のシンポジウムのこと)、連合は、ビジョンは立派だが、2003年連合評価委員会報告など、外から見た連合に対する評価と問題指摘に対して、振り返りが全くないではないかという手厳しい指摘を受けた。」
また、そのことについて、
「振り返りは必要で、半分は妥当な指摘だが、もう半分で思っていることは、振り返るだけでは意味がないわけで、振り返っての成果・実績があるわけだから、(それを)未来につなげていかなければならない。それを訴求していく。」
彼は、連合の来し方を、成果・実績のみで評価し、総括反省をする気は無いのだと公言したのだった。
私は、労働組合役員として、活動の総括を毎期の恒例にし、また、組織の先頭に立ちながら、単組の30年、グループ労連の30年の総括反省に携わり、次代へとつないできた自負がある。総括反省なき組織とは、私の想像の外にある。
総括反省とは何か
辞書的な意味での「総括」とは、「バラバラ、ないし個々のものを一つにまとめること。」、「全体のまとめをすること。」とある。そして、この「まとめ」という言葉が含意するものは、バラバラないし個々のものとは、総体として何であったのかという結論を提示するということだ。
また、「総括」という言葉に、「反省」という言葉をつけて、一つの熟語としてみる。「反省」とは、「考え方や在り方を振り返って考えてみること。」である。そうすると、「総括反省」とは、「バラバラないし個々の出来事を、一つにまとめ、それは何であったかの結論を導き出し、そのうえで、そこにあった考え方や、その基盤としての在り方について、考えてみること。」である。
さらに、その総括反省をする主体が、理念・ビジョ・目標ないし戦略等掲げて、これまでの時間を経過してきたのだから、活動に対しての成果と課題というかたちで、総括反省がなされ、価値評価されることになる。
総括反省無き組織の動機
連合が、まったく総括反省をしない組織であるとは言えないだろう。しかし、現実に、結成30年の総括反省は行われなかった。そこで、私はその動機を類推してみた。
一つは、「リーダーの責任回避」である。過去来の経過をたどり、価値評価をすることで、自らの失敗や問題からの責任を、明らかにしないためというものだ。
二つ目は、「リーダーないし執行部の現状維持への執着」である。それは、総括反省をすることが、良い悪いではなく、自らが守ろうと執着するものに、なにかを変えなければならないという影響を及ぼすとなれば、やらないという動機となる。または、まったくの問題意識の欠如なのか、または、総括反省から導き出される改善・改革の課題への対応において、能力不足を自認するがゆえに、それを忌避するということなのであろうか。
三つ目は、「政治的意図」である。ご承知の通り、連合は、表面的にはナショナルセンターではあるが、実質は、産業別労働組合の寄り合い所帯的な性質を払拭できないでいる。だとすれば、過去来、連合で権力を掌握してきた連合トップに(各産別出身者)対して、その取り組みについての価値評価を明確にしないということで、産別間の調和を図る、ないしそれを維持しようということなのだろうか。
「総括反省」しないことの問題
この総括反省がなされないことは、組織に深刻な問題をもたらすと、私は考える。まず、「経験から得られた知見の喪失」である。この間の膨大な活動から得られた、成功も失敗も含めて、なぜそうなったのか、真にどうすべきであったのかという、経験から得られる極めて貴重な知見が、総括反省をしないことで失われ、過去の事実だけが残ることになる。ゆえに、この貴重な知見を礎に、今後どうしていくべきかという未来へ繋ぐことができなくなる。それは、この間の膨大な活動を、大いなる無駄にしてしまう。
二つ目に、「透明性の欠如からの組織力の減退」である。組織マネジメントの基本中の基本は、「目標の共有・過程の共有・結果の共有」であり、このことで組織運営の透明性を担保し、構成員の主体的関与を求め、それが、組織のビジョン・目標実現の力となる。
その意味で、総括反省無き連合組織の傘下に在るすべての組織・構成員は、この30年間、何がどうあって、それを組織の未来のためにどのように生かすべきかという情報に恵まれず、今後に向けて主体的関与を拒まれ、組織は総体として惰性のままに行かざるを得なくなる。組織力が減退する構図だ。
三つ目に、前項の透明性の欠如が、構成員の運動への主体的関与を拒むことによって、運動・活動の在り方ややり方についての、数多のイノベーション・変革の機会を失う。その結果、組織を膠着させ、目まぐるしく変化する状況への対応を、機能不全としていく。変化の激しい時代にあって、組織のアイデンティティーが失われていくと考えねばならない。
さいごに
日本の労働(組合)運動の先頭に立つべき連合が、なぜ、組織にとって必然であるべき総括反省をしないのか。私はこのことが、日本の労働(組合)運動にとって、極めて重要な問題であると考えている。
組織が、自らの営為を総括反省し、それを構成員とともに共有して、課題化し、次代に向けて取り組むことは、組織的に民主主義を体現することでもある。民主主義の大切さを理念として打ち出す労働組合が、それを十分に実行しないのだから、何をかいわんや。極めて深刻な問題だと認識しなければならない。
次期連合会長になろうとする人は、いや、これからの連合を支える人たちは、このことについて、強い問題意識を持って欲しい。そして、敗戦後の労働(組合)運動も射程に入れつつ、この40年の連合運動の総括反省を、組織総体としておこない、次代にむけた労働(組合)運動を創造し、発展させ得るようにして欲しい。
