筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)
参議院議員選挙投開票日から、本日で40日。ひたすら政治的空白が続いている。読売新聞は、8月29日「自民党内政局 首相に責任がないと言えるか」と題する社説を掲げた。いわく、a首相の定見のない政権運営が惨敗の原因だろう。b公約の柱だった物価高対策の中身が宙に浮いている。c野党が政権参加の協議に応じない。だから「首相が取るべき道は明らかだ」と結んで、辞任でもなんでもして速やかに党内政局を解決せよという。
選挙敗北の原因論を辿ると、悪いのは石破ではない。旧安倍一派などがいさぎよく政治とカネ問題の始末をつけなかったからだという主張が強く出て、ますますややこしくなる。そこで、今後の政権運営に論点を絞り込んで、石破さん、四面楚歌だ、今後の政治を動かせないのは、あんたの責任だと論理を展開している。それなりに論旨明快である。
ところで、首相に選挙に勝てるような定見がなかったから負けたというが、躍進した政党も含めて、各野党に定見があったとも思えない。とくに、参政党に投票したような票を獲得する定見(?)があるのか。天の声を獲得したといえるような(参政党の)定見だとも思いにくい。まして真偽ないまぜSNS人気が、選挙戦勝利の最大要因と分析されているような事情である。
自民党が党内政局でおたおたしているのは事実だが、ところで、議会の定見なるものはどこへ隠れているのか。野党の戦略は、自民党の失敗に乗じて奏功するのが普通である。自民党が停滞すれば右へならえで野党も共に停滞するのであれば、果たして、どこに野党的主導性があるのか。痩せても枯れても政権政党は自民党に限るのでは、すでにわが国は一党支配が成立していることになってしまう。
そもそも、長期安倍政権にしても、まともに政治的遺産と呼べるようなものは全くない。いまだ、その後始末に大わらわである。かのむちゃくちゃ政権が続いたのは、まさに数の論理=数の暴力であって、いま、数が少なくなったおかげで、わが政治全体が生まれ変わる可能性を秘めた時期を迎えている。
それは、政治が本当の話し合いの場に変わることである。数を使って意思決定を積み重ねるのでなく、相互の意見を交換する。意見Aと意見Bの対立まで意見を収斂し、さらに、AとBを高めて見解Cを生み出す。大政党と小政党の違いは、大がより多くの知恵を生み出しうるところに期待があるのであって、大の望むままに意思決定を進めるのではない。
目下の事態は選挙に敗北した自民党の党内政局であるが、正しくは数の政治のお粗末が露呈したのである。数の政治が露呈したとはどういう意味か。すなわち、政治家なる存在(自民党に限らない)が陣笠ばかりだということである。つまり、40日間の政治的空白は、国会議員なる諸君が陣笠連ばかりだという意味である。
議会が機能しないのであれば、議員諸君は街頭へ出るべきだ。選挙で連呼し、票を取るための演説をするだけが街頭ではない。街頭に出て、人々に芯のあるところを見せたらどうか。陣笠のレッテルに満足するな。
