筆者 小川秀人(おがわ・ひでと)
――占領軍の検閲と戦後日本――と副題が付いている。文芸評論家・江藤淳は、昭和54~55年にかけてワシントンに滞在し、主にウィルソン研究所(ウィルソン大統領の名を冠した米国議会のシンクタンク)で、占領軍が終戦後に日本で行った検閲の実態を調査した。それを基にした作品である。
研究成果は後に、『文藝春秋』が発行していた月刊誌『諸君!』で断続的に掲載され、平成に入って文庫本化された。(1994)
軍事検閲は勿論、新聞・雑誌をはじめ、郵便物・電信・電話・映画・ラジオ・スチール写真・旅行者携帯文書に至るまで、あらゆる民間検閲も対象とされた。驚くのは、アメリカが終戦前の早い段階から占領政策の一つとしてこれを準備していたことである。
アメリカはその建国前、イギリス領13植民地として戦った独立戦争当時においても、地域に内在する独立反対の少数意見を徹底的に弾圧している。これは後の南北戦争においても然りで、敵の情報網を遮断し無力化することでの優位性を歴史的に熟知しており、言論統制のシステムを組織的に確立していた。
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恐ろしいのは、国民がその情報を言論統制された果ての産物であることを認識できないほど秘匿を徹底させられたこと。そして、敗戦と同時に「言論の自由」を与えられたと思い込まされていたこと。
江藤翁は著作の中で、【検閲は、その性格上自由な判断を許さず、一方にとって虚偽でしかないものを、唯一の真実と認めることを強制するのである。これは言うまでもなく、言葉のパラダイムの逆転であり、そのことをもってするアイデンティティの破壊である。・・・(中略)・・・日本人を日本人以外の何者かにしようという企てであった】と記している。これを精神的武装解除と言わずしてなんであろうか。
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近年のマスメディア、特にオールドメディアと称される媒体は、他者に対して厳格に自主規制を求める傾向がありはしないだろうか。筆者は新興政党を擁護する立場にはないが、「日本人ファースト」に対する反射的なリアクションが表象的に映る。かつて検閲された側が何をどう勘違いしてしまったのか、時を経て検閲する側になっている。新聞・テレビ離れが叫ばれて久しい反面、社会インフラとしての存在感も相まって、その怪しさをなんとなく大衆が肌で感じているとすれば、功罪両面あれどもニューメディアの功の一つかもしれない。
占領政策によって創り出された「閉された言語空間」が、その後の日本社会、そして日本人の心根に影を落とし続けている。くれぐれも「偏った情報で判断してはいけない」と、戦後を生きる小市民の一人として自律・自戒するところである。
