週刊RO通信

荒れた政治の拡大連鎖

NO.1624

 参議院選挙の特徴は、わが国の荒れた政治が荒れた選挙を呼んだ。政権政党に責任があるのは当然だが、嘘や差別をばらまく煽動政治家がのさばる原因を作り出したのは、既存の政党すべてがその責任を逃れられない。既存政党はいずれ劣らず大敗北を喫したのである。痛切にかみ締めてもらいたい。

 宮澤喜一(1919~2007)は、55年体制から自民党政治の要職にあり、外交内政の政策に通じたが、一貫して右翼勢力の統制に苦労したと語った。その後自民党は、安倍内閣で右派が最大勢力となり、約10年間にわたって好き放題の政治をした。カネ問題で派閥が解体し、党内での力を失った。それが参議院選挙での新興右翼政党の台頭を促進したと思われる。

 極端な主張をする政党が台頭するのは、古今東西どこの国でも政治経済が思わしくないときである。右翼の台頭はヨーロッパが先陣切った。この20年来着々地歩を固めて、フランスでは極右AFPが次の大統領を狙って虎視眈々である。右翼はEU懐疑派である。歯止めがきかなければEUの存立が危ぶまれるといっても言い過ぎではない。

 日本の場合は、歴史的に右翼的土壌が形成され深く浸透している。封建主義思想を乗り越えた経験がない。明治維新は、封建主義を専制政治に塗り替えて人々に対する支配を強化した。山県有朋(1838~1922)は、国民を兵士の精神で育て上げようとした。その流れは昭和に入って満州事変(1931)以後ますます強化され、1945年の敗戦まで続いた。

 敗戦後、アメリカが民主主義を持ち込んだ。日本人は民主主義をめざす苦闘抜きで民主主義の民となった。世界のいたるところで民主主義獲得のために血が流された。それを思えばありがたくて涙がこぼれても不思議ではない。ただし、それは民主主義を渇望していた少数の人たちの話で、猫に小判のたとえもある。いわば、戦前思想にフタをして民主主義が始まった。

 民主主義の肝は、主権在民である。そうであれば権力支配に苦しむ必要はない。しかし、主権在民とは誰もが政治に関与する思想である。権力に支配されないとは、わたしが社会を作るという意味である。わたしが社会である。これが社会契約であるが、日本人は、この意識が目立って低い。お上から遠ざかることを生活の知恵とした(泣くこと地頭には勝てぬ)のは12世紀鎌倉時代からだ。

 さすがに敗戦後民主主義の黎明期には気合が入っていた。さまざまな分野で民主主義の実践がめざされた。そのピークが1960年の反安保闘争と三井三池炭鉱争議である。以来、徐々に民主主義のうねりは沈静化し、とくに80年代バブル以後は鳴かず飛ばず状態になった。

 民主主義は天から与えられたのではなく、人々が作ってきたのである。アヒルが川を上るには水かきするからで、水かきを止めれば流される。

 たびたび引用して申し訳ないが、魯迅の言葉は正鵠を射ている。孫文の三民主義をめざした民国革命(1911)のさい、「封建清朝を倒すのは比較的容易だったが、民主主義革命は非常に時間がかかる。なぜなら、一人ひとりが自身を変革せねばならないからだ」と言った。

 民主主義には先進国も後進国もない。トランプのような品性下劣の権威主義者が権力を握れば、民主主義は吹き飛ばされる。トランプ自身がそれを知っているから、民主主義への逆流を阻止するために、民主主義を引っ張る大学教育の破壊をめざしてナタをふるっている。

 敗戦の年の10月、パールバック(1892~1973)は日本人に向けて次のような暖かく厳しいアドバイスをくれた。「民衆が自由で独立的で自治的である国は、いかなる国でも常に善なる人々と悪なる人々との間に闘争がおこなわれる。もしこの闘争が存在しないならば、それは暴君が支配して善き人々が力を失っていることを意味する」。

 わたしたちは、民主主義を自己の意志と力によって闘い取ったという立場にはない。敗戦後80年にして、その欠陥が露呈したのではあるまいか。自由を享受しながら、責任を負わずに安穏な生活ができると思っているのであれば、それは疑いなく幻想の世界にある。さらに言おう。この参議院選挙の大敗北を喫したのは、実はわたしたち一人ひとりなのだ。