論 考

国民主権政府

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 韓国大統領選挙が始まり、6月3日の投票日に向けて、主要三候補が舌戦を展開している。

 主要三候補は、李在明(共に民主党)、金文沫(国民の力)、李俊錫(改革新党)である。意識調査による目下の支持率は、李在明51%、金文沫29%、李俊錫8%で、李在明がダントツである。2位3位が統一しても及ばない。

 大統領選挙の投票を、必ずすると答えた有権者は86%、先回2022年の投票率は77.1%であった。今回も有権者の関心が非常に高い。

 選挙前、李在明は刑事裁判を抱えており、立候補可能なのか危ぶむ見方もあったが、裁判日程を選挙後に回した。当選しても裁判が消滅することはない。李在明や共に民主党は、当選すれば免責するつもりだろうか。いずれにせよ、スカッとした話にはならない。

 李在明は演説で、自分が当選した場合の政府は、国民主権政府であり、国民統合の政府にすると約束した。前者は、大統領権限を振り回さず、国民主権に徹するという。後者は、与党と野党の対立が厳しく、尹錫悦の戒厳宣言で、さらに国民間の分断が顕著になったので、それを修復するというのである。極めて常識的な主張だが、聴衆の反応は非常によかったらしい。

 民主主義だから国民主権は当たり前である。しかも、戒厳宣言直後の議会と国民の素早い動きは、世界史に残るほど鮮やかだった。議会と国民の壁が低く、親密なのだと思わされる。

 しかし、時間が経つにつれて与党は、なにがなんでも尹支持を強化する流れと、戒厳宣言直後の主権者意識を維持しつつ、強権的でない保守を模索する流れの2つに分岐したようである。だから、金文沫は尹支持を鮮明にして保守陣営を固めようとしているものの勢いがない。

 韓国の人々の主権者意識は、民主化を勝ち取った歴史を手放さない、確固とした自負である。外国人のわたしには、李在明がピッカピカで瑕疵の無い候補者かどうかには疑問があるが、現実に、やり直そうとする人々の気構えを強く感じる。

 日本では国民主権政府というような言葉を使う政治家はいない。ただし、それが韓国より卓越した民主主義だからなのだ、というようなトンチンカンに考えてはいけない。

 思うに、日本の国民主権とは、国民というより消費者意識ではなかろうか。どこかの政党商店が並べた、メニューから選ぶのが主権者意識だと思っているようだ。たまに珍しいものがあれば飛びつく。

 こんな具合だから、政党のほうも中身は変わらぬが、見てくれを飾ることに熱心である。最大の目玉商品は値引き商品(減税)というわけだ。単におカネがないのを国債に頼るなというのではない。

 国債に頼らなければ予算が組めない、というような政治にしてしまった政治家を、いかにしてまともな政治家に鍛え直すか。それが国民主権に問われている核心である。まことに道は遠いのである。