筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)
桐原葆見先生(1892~1968)は、日本の労働科学研究者の草分け、第一人者である。敗戦後がむしゃらに再建をめざす産業界に対して、人間性を柱に据えた人事管理の推進を訴え続けた。
現場に入っての研究活動は、当時の古い先入観を排して、人間行動の核心を発見するべく、まさに粉骨砕身、獅子奮迅の大活躍だった。
当時、労務管理は一皮むけばアメとムチの封建思想的温情管理が顔を出していた。そんな時代に、早くもメンタル・ハイジーン(mental hygiene 精神衛生)に着目し、「職場における精神疾患は、個人の病気ではない。職場の病気である」ことを声高く主張した。
それがどのくらい無視や抵抗の壁にぶつかったか想像できるだろう。いまでもメンタルヘルスといえば、直ちに個人に対するカウンセリングと反応するような具合である。メンタルヘルスは1970年代後半に盛んになった。桐原先生の後を継いだ越河六郎先生たち(1930年世代)は、個人ではない、職場の健康が問題なのだと訴え続けたが、いわばメンタルヘルスのミスリードはいまも、疑問さえ持たぬままに続いている感だ。
そもそも、仕事が人生を侵食して人々のメンタル・ハイジーンを破壊しているにもかかわらず、ワークライフバランスを能天気に唱えてパスしている。働き方と職場の風土が健康であれば、精神疾患は起こらない。職場と仕事をきちんと観察分析して、組織の再開発に挑戦しなければならない。
働く個人の側でみると、メンタル・ハイジーンが不調になるのは、個人の自発性が抑圧されるからである。パワハラなどが問題になるのは、まさにその証明である。また、パワハラする人も追い詰められた立場にある場合が多い。
1960年代後半には、燃え尽き症候群(burnout syndrome)が注目された。お国ための戦士が敗戦後は産業戦士に衣替えした。月月火水木金金で、まさに24時間戦う調子で仕事にのめりこんだ。
本人も乗りに乗ってがんがんやっている間はよかったが、予告なしに突如、意欲喪失・無気力・無感動、そして自責の念にとりつかれる。打ち上げ花火が全部終わってしまった感である。自発的に働いているはずだが、肉体と精神がボロボロになってしまった。
さらに、1970年代が進むと、高度経済成長が終わり、いけいけどんどんの気風では乗り越えられなくなった。客観的には、組織も個人も頭を冷やして、「働くとはどういうことか」「人生はいかにあるべきか」などを思考する段階が訪れていたのだが、長年の慣性が引き起こしている陥穽に気づく人は多くはない。
わたしの組織では人生を立ち止まって考える研修を開発し、組織を上げて学びの活動に取り組んだ。その過程で、メンタル・ハイジーン課題と組織的に対峙していたのである。これは素晴らしい成果を上げた。報道や出版を通じて全国的話題を巻き越した。招かれて講演したり、わが組織の訪問者が多かった。
しかし、わたしが言葉を尽くしたつもりでも、ある一点が壁であった。すなわち、「自発的に働く」という概念が、人事労務関係者にはすんなり理解できない。あるいは、先例にならって研修を導入しても永続性がない。
なぜなのか? わたしは当時から一貫してこの疑問を抱えてきた。自発性の意味・意義が言葉ではわかるのだが、日々の生業とは正反対だと考える人が圧倒的に多かった。組織の人事管理システムはどんどん精緻深化する。人が、その流れに疑問を呈しつつ、適応するのは二律背反である。結局、疑問を封じて、すなわち、組織的官僚道を進むほうがラクである。
思うに、日本産業界の再起再建のためには、個人次元から働き方を見直さねばならないが、それを組織的課題として全体で取り組む動きがない。1980年代にはあった。ただし、賑やかではあったが見事に失敗した。CI(coporated identity)がそれであるが、いずこの企業もコンサルティング会社に丸投げして表面的体裁を整えただけであった。
会社のミッションと個人のミッションを見詰め直して、組織と個人の強い絆を再編成する動きなどは全くなかった。
メンタル・ハイジーンが提唱されて80年、その理論的輝きは一向に衰えていない。個人も組織も、いつ、この意味に気づくのか。気づいてほしいものだが。
