論 考

年賀状じまい

筆者 渡邊隆之(わたなべ・たかゆき)

 今年は久方振りの静かな正月だった。昨年わが家が喪中だったことに加え、年賀はがきの値上げで年賀状じまいが進み、頂戴する年賀状も通常の4割程度だった。

 筆者も昨年末に年賀状の図柄をサイトで検索したが、年賀状じまいのひな形が多くて、驚いた。

 正月の挨拶は本来ならば出向いて対面でというのが本筋かと思われる。筆者が子供の頃は本家に出向き、親族や縁のある大人たちが年始の挨拶とともに酒を酌み交わす光景を随分と目にしてきた。しかし、遠距離の方への挨拶は容易ではない。その点で年賀状はお互いの近況を伝えるいい手段で、しかも日本全国均一料金というのも有難いサービスである。

 しかし50円から63円に値上げされ、わずかのうちに85円に再値上げしたのでは差出人が減るのも無理はない。なにしろ、主食のコメの価格が約2倍、野菜や生鮮食品等も高騰し、人々は生活防衛に必死なのだ。

 郵政の増田寛也氏の写真を見ると岸田氏同様「増税メガネ」の言葉が脳裏をよぎる。郵政や総務省から一方的に値決めができるなんて市場原理を熟知しない素人の商売のようだ。

 通常値決めについてはマイケル・ポーターの5フォース分析のように供給業者・買い手・新規参入者・製品やサービスの代替品・競争業者のバランスで決まるのがビジネス界のセオリーである。

 コスト高であえいでいるのであれば、もう一度郵政民営化の妥当性について議論し、かつての郵政公社のように郵便・郵貯・保険を丸抱えにする業務スタイルに戻すべきではないか。

 なぜなら、利益を生みやすい郵貯・保険の利益を郵便事業に回せば安価な日本全国均一料金を維持できる。本来、司法・警察・郵便は国のインフラとしての公共サービスと考えるべきものでもあり、郵便サービスも手頃な値段で利用できるようにするのが筋である。

 かつて、岩波ホールで『山の郵便配達』という中国映画を見た。主人公の少年が郵便配達員である父とともに山岳地帯の老婆のところに手紙を届ける。

 盲目の老婆は少年に懇願する。自分の孫が仕送りとともに同封してきた手紙にはなんて書いてあるのか。しかし、同封されていたのは手紙ではなく文字の書かれていないただの紙きれであった。少年は戸惑う。

 郵便配達員である、少年の父は、さりげなく老婆を労わる言葉を紡ぎ、あたかも手紙に認めてあるかのように読み聞かせた。

 事業者が利益を増やし、事業をできるだけ永く存続させたいという思いは理解できる。しかし、利用者の利便性や幸福感を考えず、ただ自らの目先の利益追求だけに走ることはかえって経営を悪化させ、事業や事業者の存在意義を損なうことにもなる。

 増田氏も元官僚であり、自民党が都知事選に担ぎ、落選したお詫びとして郵政の代表に就任させたのかもしれない。しかし、現場の状況を十分に知らない人物が組織のトップに居座り続けるのは、サービスの利用者のみならず組織内で働く人々にとっても、果たしてメリットがあるのだろうか。

 先人が工夫して残してきた通信手段をもっと大事にできないものだろうか。

 近年では独り住まいの高齢者世帯が増えている。孤独死を防げと政府やマスコミは騒ぐ。にもかかわらず、郵便というユニバーサルサービスの質を落とし、差出人を減らし、人々の孤立化を増幅させている事実をどう考えているのだろうか。

 年賀状じまいが多い原因は、サービスが不必要だからでなく料金が高すぎるからである。人件費高騰や人手不足を理由に安易な値上げに走れば、やがて地方の郵便局の淘汰につながっていく。

 それよりももっと利用者の声に耳を傾け、魅力ある商品・サービスの開発に知恵を絞って、事業の存続・発展を考えるべきだろう。以前、とりわけ公共料金値上げには、人々の怒りが高まったものだ。