論 考

韓国の人々の民主主義

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 尹氏の戒厳宣言に始まった騒動の始末はまだ軌道に乗っていない。

 合同捜査本部(警察庁国家捜査本部、高位公職者犯罪捜査処、国防部調査本部)が、尹氏に12月18日10時の出頭を要請したが応じず、再度25日10時に出頭を要請する。容疑は、内乱主導、職務乱用権利行使妨害などらしい。今度応じなかった場合は、裁判所に逮捕状を請求する構えだ。

 さらに、検察も出頭を要請している。捜査する側も複雑な感じだ。

 議会は、野党・共に民主の李在明氏と与党・国民の力の権性東氏が会談したが、両者ともに議会の正常化を語るが、まだ前進したというところまで来ない。

 市民層では、戒厳問題をどう解釈するか。今後に向けての討論が始められた。提出された意見をみると、たまたま臨機応変の対応が奏功したものの、問題の本質は、1987年のの民主革命以前に戻す動きというよりも、むしろ、従来考えていなかった領域の問題が発生しているという危機意識である。

 1987年の民主革命が成功した。これで、もう悲劇はやってこないだろう楽観していたのではないか。やってこないだろうではなく、こないようにするにはどうするか! 

 その際、韓国の政治体制と現状を考えねばならない。第一、過度の中央集権である。第二、政治的両極化が進み、しかも急進主義が台頭している。第三、陰の権力の肥大化。第四、不平等問題の解決に失敗している。

 これを解釈すると、過度の中央集権の構造において、少数与党と野党の対立が激化している。国民の問題は経済の停滞・下降感と拡大した格差の改善が全く進んでいないなかで、制度は法治であるが、一部の人間が権力を動かしている。公開、公正な民主主義になっていないという認識である。

 これは1987年の民主革命で達成したはずの権力分散と権力乱用の排除という最大の問題が、実は達成されていない。尹氏という、民主主義の規範を尊重しない人間が大統領に就いて。きわめてポピュリズム的な権力行使を試みたではないか。

 社会には、染みついた前近代的要素が多く、民主主義を脅かしている。いまのような政情においては、ポピュリズム的独裁はいくらでも登場するだろう。

 前近代的要素としては、たとえば軍人的要素のほうが、政治家的要素よりも高い人間が少なくない。

 民主主義において、政治課題をすみやかに実現していくために、中央集権が取られているが、権力を行使する人間、大統領に選出された人間が、民主主義、基本的人権、冷静なガバナンスを行使できなければ、中央集権は国民に向かって振り回される刃物になってしまう。

 韓国政治は、外(筆者)からみると、権力グループ(権力者とそれを巡る政治家集団)と、非権力者(国民)がくっきり分かれている。国民は、権力者に対してきわめて厳格な視線を送っているのだが、にもかかわらず、尹氏のような行動を発生させた。

 日本においては、露骨な権力志向の姿勢が強かったのは安倍氏であった。もちろん、戒厳令というような事態とは次元が異なるが、過去を考えてみても、権力に対する国民の視線が弱いように思う。お隣の政治から勉強することは少なくない。