論 考

韓国の民主主義から考える

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 尹氏の戒厳宣言騒動は、あまりにも衝撃的で非常識の極みだというのが、韓国内の論調のようだ。しかも、極めて短時間に戒厳令を解除させた。

 短時間に解除させることに成功した意味は特筆大書せねばならない。ずるずると手間取って長引いていれば、不測の事態が発生する。脚本があったわけではないが、人々の対応が適切であったことは、民主主義の危機に当たって間髪入れず対決することがいかに大事か、示してくれた。

 時間をたどってみると、議員が直ちに国会に集まって戒厳令解除の決議をおこなったことがきわめて有効だった。その前、軍隊の国会侵入を防ぐために、秘書などがバリケードを築いた。市民もまた、国会前に集まって軍隊の侵入を阻止する行動をとった。国会が軍隊によって封鎖されてしまえば、戒厳令解除の決議ができないから、これらの行動は大手柄である。

 軍・警察の指揮がどうだったのか。詳細がわからないが、集会・言論が封じられる前に素早く行動したことが、戒厳令の被害を抑え込んだ。

 韓国の人々の民主主義意識は、苦闘を重ねて獲得したものだと思う。棚から牡丹餅の民主主義とはわけが違う。

 尹氏は戒厳宣言した理由として、従北勢力を清算し、自由秩序を守ると主張した。南北朝鮮の現状からして、それを荒唐無稽と切って捨てることはしないが、あきらかに踏み込み過ぎの理屈である。自分の無謀な意思決定を確かなものにするために、具体論ではなく抽象論を持ち出して煽ろうとする。

 おそらく、最近北朝鮮が物騒な宣伝・行動を展開しているから、北朝鮮に対する警戒心や恐怖心が戒厳宣言の正統性を支えると考えたのだろう。これに対して、人々は微動もしなかった。冷静である。

 さらにいえば、国家間対立を煽るのは、市民一人ひとりではなく、政治権力の支配者であるという、まさに歴史的教訓を見せつけたともいえる。

 尹氏が野党攻勢を浴びて、大統領らしくリーダーシップを発揮できないという焦燥感や憤りは予想できる。だからといって、情動に基づいて行動するのは高等な政治家のなすべきことではない。

 その程度の自戒を尹氏が持ち合わせていないとは考えにくいが、国家の支配権力者であるという立場にあると、個人として持ち合わせねばならない倫理道徳が霞んで、権力の魅力にはまり込んでしまうのであろう。

 わたしは、大昔に、組合支部の執行委員になったとき、先輩から、「末端の役員ではあっても、権力機構の一員だということを忘れないように」と忠告された。たかが、組合支部かもしれないが、まことに立派な見識だと思う。先輩の忠告をそのまま、すべての権力機構の人々に聞かせたい。尹氏だけではない。

 政治的な問題は政治で解決する。これ、当たり前の理屈だが、世界中を眺めれば、いたるところ棍棒が振り回されている。政治家かギャングか区別がつかない。

 まして、国内の政治的問題解決のために軍兵が動員されるならば、それは民主主義ではない。独裁国家になってしまう。

 韓国の人々は、その危険な崖っぷちで実に効果的な対応を起こした。この間の韓国のみなさんの考えや行動から教えてもらったことはおおいに貴重だ。

 もうひとつ、政治家というものについて次のような言葉をかみしめる。

 ――不確かな思惟を、愚かな思惟におきかえる以外に取柄のない人間を優越者と認めるな。――(シモーヌ・ヴェイユ 1909~1943)